2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

なにがおきたとしても そこには

○ こころやすらかなときには同じ小さきもの、よわきもの、まずしいものに不平不満を感じるのは 神に向かって不平不満をいっていることとおなじである と思います でも、時々、躓いてしまいます また、立ち上がればいいこと かな ○ 昨夜の出来事枕元でなにや…

スピリチュアリティ はじめにことばありき

以前にも書きましたが、ネアンデルタール人が滅び、クロマニヨン人が栄えたのは、言語の使用の差という説があります。 哲学の認知論や、心理学の認知研究や、言語学が示すように、私たちの思考や認識には深く言語が関わっています。 細胞とは、遺伝子つまり…

再び 猫のいる暮らし

6年ぶりに猫と暮らしています。 2月3日の夕方、山の中の一軒家の我が家に突然現れ まるで、ずっと以前から住んでいたかのように住み始めました。 大人になりたての、雌猫です。 その姿、大きさ、6年前に亡くなったミーそっくりです。 最初の2.3日は、食べる…

響きあう世界へ

「苦しみ」という言葉は、サンスクリット語では、「duhkhaドウフカ」といい、「思い通りにならない」という意味があるそうです。 仏教では苦しみを、四苦八苦に分類します。 生老病死の四大苦と、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四苦を言います。 …

天に向かってのびのび

私たちが、ある「もの」「こと」「それ」が、確かに「ある」「起こっている」「実在する」と、「認め」たり、「思ったり」「確信したり」する根拠はなんだろう。 あるいは、どういう過程を経て、「認め」「確信」するのだろう。 日常の中では、 「実際目に見…

不思議なこと

ある御方が、 「弱さと神の慈しみ」−テレーズと共に生きるー 伊従信子訳・編 サンパウロ発行 という書籍を贈ってくださいました。 スピリチュアリティの遍歴をしていると、聖テレーズの名前がしばしば出てきます。 急がずに、読んでみようと思います。 触発…

信仰と科学

河合隼雄先生は、心理療法を四つの型に分類したそうです。 医学モデル、教育モデル、成熟モデル、自然モデルと名付けたと聞きます。 そもそも近代以後、最初に心理療法に携わった人が、ほとんど医師だったので、先ず第一に医学モデルがあげられるのはその通…

黄昏に佇み祈る

時間の一方向性と等量性 楽しい時間は速く過ぎてしまい、退屈な時間は長く感じ それでいて、楽しい時間は何度も何度も思い出され、 退屈な時間の記憶は簡単に消えていく そういう主観的な時間感覚はあっても 時間というものは一方向にのみ流れ、 客観時間は…

過程であると同時に、永遠であること

幼い頃、父は定職に就いていたものの、私の家は貧しくて、よく父と母は喧嘩をしていた。 友達を家に連れてきたら、つかみ合い、ののしり合いの喧嘩の最中ということもあった。 自分が大事にしていた置物とかおもちゃは、その度に壊れてしまった。そんな姿を…

神に祈る 神にたのむ

神に祈る 神にたのむ イエス・キリストによる救いに関しては、あまり関心がありませんでした。 縁あって教会から毎月送られてくる月報を読んでみても、心はあまり動きませんでした。 そんな私でしたが、K牧師夫妻からは、生のキリスト者の暮らしと祈りを示し…

今ここの奇跡 Every cloud has a silver lining.

仏教でいうところの「苦」は duhkha (ドゥフカ)というサンスクリット語に由来します。 原義は「思いどおりにならない」ということです。 私達は、様々な「思い」・(生理的な)欲求・(精神的な)欲望を抱き、目標や予定を立てて生きています。 身も心も、…

朝、一杯のコーヒーから。たかがコーヒー、されどコーヒー

コーヒーを飲みながら、コーヒーを定義しようと思いました。コーヒーのことを、Wikipediaには、 「コーヒー(珈琲・coffee)は、コーヒー豆(コーヒーノキの種子)を焙煎し挽いた粉末から、湯または水で成分を抽出した飲料のこと。抽出前の粉末や粉砕前の焙…

無始以来の花が咲いている

花が咲いている 蕾が開き、やがて花弁を落とすことになるのだけど 花は花として変わりなく咲いている それを、私は感覚記憶だけにとどめ、他と識別するだけで済ませたり じっとみつめ、無始以来の、宇宙の歴史を感じ、溶けてしまったりする これまでの人生で…

(科学的言語と芸術的言語による)苦しみの解決

(科学的言語と芸術的言語による)苦しみの解決 「苦しみの解決法」という言葉を聞いた時、多くの人がイメージすることのひとつが医学ではないでしょうか。 仏教では、生老病死を四大苦と言います。そのうち、病気による苦しみ、特に肉体に関する病気の解決…

姿勢と意識

「意馬心猿」という言葉は、 私達の「意」識はまるで荒れ狂う「馬」の様、 「心」は酔っぱらった「猿」の様 ということからきているらしい。 瞑想をして、自分の意識や心を観察してみると 意識や心が、刺激によって、あっちこっち彷徨うのが分かる 普通、私…