スピリチュアリティ はじめにことばありき

 以前にも書きましたが、ネアンデルタール人が滅び、クロマニヨン人が栄えたのは、言語の使用の差という説があります。
 
 哲学の認知論や、心理学の認知研究や、言語学が示すように、私たちの思考や認識には深く言語が関わっています。
 
 細胞とは、遺伝子つまり遺伝情報・言語を細胞膜で包んだものともいえます。
 
ことばが「わたしの世界」を作っているといっても、そのことばは、世界全体から生まれたものだと思います。
 
言葉と「わたし」は、世界全体が生み出した「夢」のひとつであるように思います。
 
世界を認識し、わたしの世界を作っていくには、ことばが必要だと思います。
 
私が「わたしの世界」を作る時、わたしの中にある共通語辞書やわたし独自の辞書をつかって、ことば以前の事柄を、言葉に翻訳して、表現(写像化と記号化)や思考していると思っています。

スピリチュアリティ」ということばがあります。
この言葉も、共通語辞書に載っていますが、わたしは私なりにわたし独自の辞書にそのことばを記載しないと、わたしの血肉になりません。
 
わたしの独自の辞書の中では、「スピリチュアリティ」を今のところ次のように記載しています。
 
「人間は、自分がやがて必ず死ぬことを知っている。その中で、何とか生き延びようとか、欲望を満たそうとかするのではなく、やがて死すべき人間存在の意義と、わたしの仕事を見出そうとすること。見出して実践すること。」



パラダイスや喜びを欲望すると、パラダイスや喜びは遠ざかり
 掴もうとしていた手を緩め、開け放つと、そこがパラダイスとなる。

 とはいえ、パラダイスを求めて、手を緩めても、緩むだけです