2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

言葉と世界 八百屋に野菜は売っていない 百貨店に百貨は売っていな

グレゴリー・ベイトソンは、著書の中でこう語っています。 ものの名前は名づけられたものとは違う。 ものの名前は名づけられたものより一段高い、別の論理階型に属する。 クラスはメンバーより一段高い、別の論理階型に属する。 グレゴリー・ベイトソンの著…

進化? 花を手向けあうこと

人間個人としての「成長」はいかにしてなされるのだろう。 人類全体としての「成長」は、いかにしてなされるのだろう。 「成長」とはそもそもどういうことをさすのか。 最初「進化」あるいは「学習」という言葉を使って考えようとしたが、 「進化」や「学習…

慈経

「慈経」という経の存在を知ったのは、増谷文雄氏の著書によってです。 今から20数年前、結婚したての頃、二人でこの経を読んだりしました。 最近インターネットで検索してみると、 慈経―ブッダの「慈しみ」は愛を越える アルボムッレ・スマナサーラ (著), …

たまゆら その後のその後 言語と存在・認識 シンハラ語

日本人にもバイリンガルな人が増えているとおもう 会社内で、日本語禁止の会社もあるという 私に関していえば、長年英語を習ったのに、英語は話せない 単語とかはわかるが、長文になるとわからない 中国語は、筆談を交えると、旅行会話程度ができる が、中国…

情報操作 ノイズ 混沌 ミミズ

ある情報が、ある権力にとって都合が悪いとき、 その権力はどうしてきたか ひとつは、「情報源を絶つ」という方法情報源を絶つという方法が難しいときは ノイズを出すという方法 つまり、消してしまいたい情報と 外見は似ているが、ぜんぜん中身の違う情報 …

「禁欲的」そして「理詰め」

高校の時以来の友人と、メールで友人ならではの対話を続けた。 その対話の中で、自分自身について気づかせてもらった それは、自分はやっぱり「禁欲的」で「理詰めだ」ということ 自分たちは、今生きている状況の中で、いろんな問題を抱えている その問題解…

「たまゆら」その後

「人は、世界をありのままではなく、その人が観たいように観る」 これは、私が、人生の微妙な事柄について、他者と話し合いをするときの大前提のひとつです。 ある物事についての微妙な、あるいは深い話し合いは、この前提の合意あってのことです。 残念なが…

たまゆら

友人から、「滝へ行こう」と誘われ、ハイキングのつもりでいってみると、 そこは「たまゆら」撮影会でした。 玉響(たまゆら)という言葉は以前から知っていましたが、 彼らのいう「たまゆら」とは、 主にデジカメで風景を撮ると画像に表れるうすくて白いぼ…

たった一人の人を愛するということ

たった一人の人を愛するということが、愛することや平和の基本と自分は思っている 郷土愛とか人類愛とか地球愛という言葉があるとしても たった一人の人が素晴らしい人生を歩めることを願って、 郷土を愛し良くしようとし、人類を愛し良くしようとし、地球を…

残った欲と抜け落ちた欲

以前より坂道を歩けるようになったが やっぱり、苦しい 日常生活をしていて、心臓のあたりが締め付けられるといったような症状は今はないのだが 父は、心筋梗塞で、68歳で亡くなった 叔父は狭心症を持っている 家族は医者に見てもらったらどうというのだけど…

また、一からスタート

第4回「植物と虫の名前を覚えない自然観察会」を行った千の風になってを歌った 田島征三さんの詩を朗読した 森を歩いた 他者もまた、現象しているのかもしれない 他者と既にネットワークを形成しているかもしれない しかし、やっぱり他者は謎だ 何となく南正…

泣きながら生きる

昨夜 フジテレビ放映のドキュメンタリー「泣きながら生きる」(張麗玲さん製作)を観た テレビ番組を観て、衝撃を受けたのは、久々だった。 主人公の男性がほぼ同じ歳なので、自分のこれまでのことも同時に色々思い出していた。 彼は16歳のとき、上海から下…

トーテミズム 人はどのように生きるべきか?

人は何の為に生きるのか? 生きる価値があるのか? と、いつか、幼子達が大きくなったとき、彼らから問われるだろうと思っている。 ある人のブログで、最近まずまずの広さの書店に行ったが、サルトルの本が一冊もなかったと書いてあった。 全共闘運動が華や…

還郷歩禅 宇久井半島の森を歩く

自分は日本に住む日本人ではあるが、心とか精神は、東洋人ではない、と感じたのは、20歳の頃だった。 きっかけは、玄米菜食を通して、桜沢如一を知り、著作「易ー無双原理」や「永遠の少年」を読んだことだった。 以来、一元的二元論で物事を捉えようとして…

植物と虫の名前を覚えない自然観察会の意図

グレゴリー・ベイトソンが、「精神と自然」という著作(思索社)の中で、 <学校教育は、真に重要な問題はすべて注意深く避けて通っている>と書いています。(3ページ) 魯迅も、<将来どのような時代が来ても、学校というところは、国家の為の学校となるだ…