人は何の為に生きるのか? 生きる価値があるのか?
と、いつか、幼子達が大きくなったとき、彼らから問われるだろうと思っている。
ある人のブログで、最近まずまずの広さの書店に行ったが、サルトルの本が一冊もなかったと書いてあった。
全共闘運動が華やかだった頃、ある人が問うたそうだ
「科学的歴史法則として、理想社会が実現されると決まっているのだとしたら
どうして、身の危険を冒してまで、革命運動をしなくてはならないのか?」
それより約750年前、鎌倉時最初期、道元さんは
「人々に、最初から仏性というものが備わっているとしたら
どうして、修行が必要なのか?」と疑問を抱き
ついには、中国(宋)まで、答えを探しにいった。
空手還郷
安易な楽天主義を拠り所としないように、自分を律してきた
安易な楽天主義者は、社会参加せず、
安全な場所から、ばら色の未来を説いていたからだ
諸行無常・諸法無我の原始仏教を選んだのも、その為だ
国も破れ、山河も破れようとしている時代にあって
原始仏教では、あまりにも禁欲的で、暗すぎるかもしれないと思っている
まだいくらか山河が残っているので
トーテミズムで伝えようかと思っている