熊野の寅さんファンによる合作脚本 後ろ姿の寅次郎 熊野夢日記 「嫌なことがあったら、汽車に乗ろう」

三重県紀宝町にあるミュージック・カフェ フォークスで 新曲コンサートスペシャルが行われている。

 

松原 「 2010年の1月から、地元の音楽仲間の皆さんと、未発表、自作の曲だけを発

    表するという<新曲コンサート>を年に2回開催してきました。

     今回は、今までの発表された曲の中から、各自が選んだ曲でコンサートを開

    催します。まずは、私が、2010年7月 第2回で発表したこの曲からスタートで

    す。」

f:id:k1s:20190226185336j:plain

嫌なことがあったら汽車に乗ろう

「嫌なことがあったら汽車に乗ろう」 作詞作曲 松原洋一  2010.7.4 第2回

1. 長い長い人生だから いろいろあるさ
  壁にぶつかりつまずき 夢破れても
  雲が流れていくよ あの山の向こうに
  耳をすませばほら 汽笛が聞こえるだろう

  嫌なことがあったら 汽車に乗ろう
  たまには逃げ出したい事も 発車オーライ
  嫌なことがあったら 汽車で行こう
  旅が終わればまたここからスタート


先生 「 安朗君 今回の君の旅のことを歌っているような歌だね。
     君は、研修で回った世界の国々の現状を見て、自分の人生はこれでいいのか

    と迷った。 <壁にぶつかりつまずき 夢破れた> わけさ。


     これは、あくまで、今日の僕が、今日の歌を聴いて、解釈したことだけどね
    他の人は他の人の、別の日には別の日の解釈が有るだろう。

     行き詰って なすすべが全てだめだったとき その時になってやっと目覚め

    ることがある。


     それが 雲の流れだったりする いつも空は見ているけどね。


     他力にめざめるというか 自分の力で何とかしようとしても できないと自

    覚したとき、自分がもっと大きな見えない世界の中に包まれていたことに 目

    覚めたりする。

 
     人はそれを 回心といったりする。 心を改めることではなく、こころを回

    すことだよ。


     生態学に目覚める システム論に目覚める 世界内存在、文脈主義、縁起に

    目覚める といってもいい。
     娘のなちさんに 「また難しいことを言ってる」といわれそうだがね。

     この歌は、2010年に初めて発表されたそうだが、<汽車><汽笛>も、何か

    を象徴しているね。


     これも、僕の今日の解釈だけど、汽車は、蒸気で動いている、清乃さんのお

    母さんのレストランでもはなしたように、蒸気機関には、ガバナーが必ずあ

    る。ガバナーというのは、システム論、精神の生態学の象徴だね。部分が全体

    を動かすことはない。色即是空、空即是色 因は果であり、果は因だね。


     見えないところで、機関士が汗を流しながら、石炭をスコップで掬う。窯に

    入れる。石炭は燃え、水は蒸気となり、軸は回転する、それがレールに触れる

    と動く。汽笛が鳴る。蒸気は、客車を温める。足の裏からそれを感じる。

 

     <逃げ出したいなあ>と一旦は、思ってもいいんだよ。思っても、それを抱

    いて、旅に出る。汽車に乗る。


     すると、風の歌やレールの歌、他に旅する人の歌が聞こえてくる。

熊野の寅さんファンによる合作脚本 後姿の寅次郎 熊野夢日記 ガバナー 清姫

シーン 自然食レストラン ガバナー 寅さん 清乃 先生 安朗 なち

事務員「清乃さん、ある?」
清乃 「おるよ、今帰ってきたところ」
事務員「さっきね、清乃さんに、ガバナーがついていない商品の注文を受けましたが、ガバナーなしでいいんですか、と問い合わせがあったよ。」
清乃 「いいんです。今回はガバナーがついていないのを選んで注文したの。私から電話しておくわ。」

f:id:k1s:20190131201223g:plain

寅さん「なんか、聞きなれない難しいことばだね。ガバナーってなに?」
清乃 「私ね、オルゴールが好きなの。寅次郎さん、ほら見て、このオルゴール、ねじを回すと、羽根がぐるぐる回っているでしょ。この羽根のことを、エアガバナーっていうの。一定の速さで、曲が演奏されるようこの羽根が調整するの。」


先生 「ガバナーは、オルゴールだけでなく、時計とか、エンジンとかにあって、一定の速度を保つはたらきがあるんですよ。
 蒸気機関を発明したワットが、風車で使われていたものを実用化したんです。」
安朗 「辞典なんかには、調速機と出ていますね。」

 

寅さん「北海道は根室の新緑祭りで、オルゴールの売をしたことがあるんたが、 こんな小さな箱の、小さい部分に凄い工夫が詰まっていたんだね。」 

(第33作 霧にむせぶ寅次郎 昭和59年8月 マドンナ中原理恵

 

先生 「ところでね、安朗君。辞書で調べると、ガバナー=調速機と出てくる、それは間違いないのだけど、そうやって辞書を頼ってすることばの定義というのが厄介なんだね。ガバナーの仕組みがよくわからない人は、調速機ということばから、ガバナーが機械システムの回転数を調整しているように思ってしまう。確かに回転数を変換しているが、その変換は、システムからの情報に基づいている。ガバナー自身が、システムから影響を受けてその働きを決めている。その変換は、一部分が、他を制御しているという訳でもないんだ。一方向的な因果律でなく、因は果であり、果は因でもある。」

 

なち 「先生が解説し始めると、なんでも難しくなるのね。サイバネティクス、システム理論、世界仮説、文脈主義」

 

先生 「なちさん、ものごとはそう単純じゃない。ここは大事だよ。ずいぶん昔のテレビコマーシャルに、<冷蔵庫、電気なければただの箱>というのがあってね。電気屋さんの店頭に並んでいるときの冷蔵庫は、冷蔵庫でありながら、冷蔵庫でない。ただの箱。売れて、台所に設置され、コンセントにコードを差し込み、システムの一部になったとき、はじめて冷蔵庫になるんだ。自動車だってそうだ、運転手やガソリンスタンド、道路や信号機、交通ルールといったシステムの中に組み込まれて、そのとき自動車になるんだ。
 機械ですら、システムがあって、働きがある。 単純な因果律で動いているのでもない。ましてや、人間や生命は、この皮膚の内側だけで生きているのではない。脳や中枢神経が、からだ全体を動かしているわけでもない。 ガバナーがガバナーを作ったわけではない、脳が脳を作ったのでもない、私が私をつくったのでもない。
 なちさん、いつも言っているように恋愛しましょうね。」

 

なち 「それをいうなら、先生。私、お母さんが先生と再婚する前から、先生のお嫁さんになること決めていたのよ。
 先生だって、逢うたんびに、<大きくなったら、僕のお嫁さんになってね。>って言ってたじゃない。先生、忘れちゃったの? 私、清姫になっちゃうわよ。」

 

熊野の寅さんファンによる合作脚本 後姿の寅次郎 熊野夢日記 「恋もすべて毒なのよ。」

シーン西村記念館にて 。修理保存工事が完了し記念式典が行われる。 先生と学生
ステージでは周美さんが「われに益あり」を歌っている。

 

先生「コトバはとても複雑な記号ですが、記号には、コトバ以外にも色々あります。音、映像、香り、動作、自然物
 ここで、記号を、コトバで定義しておきましょう。<それ自身とは別の何かを表するもの>それが記号です。

 

 さて、私たちは今西村記念館の中にいるのですが、この家そのものも、別の何かを表せばコトバであり、記号と言えます。
 君たちの中で、持ち家がある人はいますか? 家を設計したことがありますか? 学生ですから、両親や祖父母の持ち家であって、自身の持ち家がある人は、めったにないと思います。それに、自宅から通っていない人は、賃貸マンションに住んでいることでしょう。

 

 だから、おそらく、間取りを考えたり、家の屋根の修理とか壁のペンキ塗りについて考えたり、実際行った人もまずいないでしょうね。でも、家も私たちのからだと同じように、生きているといえます。
 家を単に、寝泊まりするところとするか、あるいは、拠点とするか、自分と一体化したものとするかは、それぞれの記号解釈によります。 家と言っても、アパートと持ち家では、住む人の意識も変わります。
 家は、その人の夢の表現なんです。そして、同時にゆるぎない現実です。

f:id:k1s:20180930174822j:plain

シーン 不耕遊民 衣食住 結婚 難民 色川にて

 

寅さん「俺は、恋愛をしても、結婚しない、なんて偉そうなこと言ったけどね、実は結婚できない、が本音だね。衣食住ということばがあるだろ、みて通り、俺はいつも一張羅を着てる着た切り雀。(第29作寅次郎あじさいの恋)


 食については、人糞製造機なんて言葉があるけど、糞は垂れても、田んぼを耕したことはない。住については、東京、柴又に「とらや」があるけど、寝泊まりするだけさ。
 屋根の吹き替え、壁の塗り替えとかしたこともないし、お金を払ったことも、固定資産税を払ったこともない。

     

 結婚をするとだね、愛の巣、家がいるだろう。欲しいだろう。最初は小さなアパートでもいい。そのうち子どもが生まれる。手狭になる。持ち家が欲しくなる。妹のさくらをみていれば、よくわかる。ピアノが欲しくても、小さな家では置ける場所がない。(第11作 寅次郎忘れな草 マドンナ浅丘ルリ子


 若くて元気なうちはいいが、歳を取れば、家も一緒に歳を取る。さっき言ったように、家というのは、手入れが必要だ。アパートで暮らしていると、ぴんと来ないけどね。屋根をふき替えたり、壁を塗り替えたり。
 

風の吹くまま、気の向くまま、なんて言ってるけど、ひとりだから言えるのさ。これが、女房子どもを連れたまま風に吹かれると、難民だな。


 家にだって、誕生日があり、どんなに手入れしても、お葬式の日がやって来る。つまり、解体さ。これが結構、お金がかかる。子どもが後を継いで、子どもに任せればいいのだけど、時代がどうなっているかわからない。安朗君の親族が、跡継ぎのことを考えるのは、結婚して家や財産を持つ者にとっては、普通のことだよ。
    
 難民と言えば、最近は、たとえ持ち家があっても難民のような暮らしの人が増えているよ。歳を取って、年金だけでは屋根の修理や壁の塗り替えは難しくなるし、介護施設に入ることだって難しい。子どもには頼れない、そんな難民がね。

 (那智勝浦町の人口約16000人、独居老人は、約2000人)

 

 夕子さんたちを見てごらんよ。田んぼを耕し、草を取るだけでなく、今日は隣の納屋の屋根のペンキ塗りをしているだろ。 農業じゃなく、百姓なんだね。ここの暮らは。 

 そして、俺はやっぱり不耕遊民さ。 結婚できない。

 


シーン 自然食レストラン 先生と寅さんと智恵子 記号と食事

 

寅さん「先生、さっき難しいこと言っていたね。
言葉は記号であるが、記号とは言葉だけではない。それが別の何かを表せば、記号であると。そこで思いついたんだ、衣食住の食、ご飯を食べるということも記号だね。

 

 昔は、デートと言えば、映画を見に行って、そのあとは食事ってことが多かったね。
一緒に食事をすればね、言葉以上にその人のことを感じたり、見えたりするんだね。
どの店を選ぶか、何を注文するか、どんな食べ方をするか。
懐具合、趣味、育ち、性格なんかもわかっちまう。

 

 店に入ってさ、『何にするかあなたが選んで』と男に任せている女がいるだろ。あれ、主導権を男に預けているようで、実は女が握っているんだね。

 高級レストランへ行けば、相手のマナーから育ちがわかるだろ、同じように、大衆食堂へ行って、魚の煮つけを頼んでも育ちが感じられるね。骨が一杯の食べづらい魚がいいね。

 高級レストランであれ、大衆食堂であれ、ゆっくりよく噛んで、味わっているかどうかで、性格も感じられるな。

 

先生 「性格だけでなく、世界観だって表していますよ。
    <食うために生きるのか、生きるためにたべるのか?>ということばがありますが、ただお腹を満たすだけ、とか満腹感が欲しくて、とか完食するために食べる人がいるんだね。歯も、感覚器官のひとつ、これは私の持論でしてね。舌だけでなく、歯で味わっている。

 歯で味わっていない人は、食べるということが、何かのための手段、過程でしかない。食事以外もそんな風に生きている。」

 

寅さん「楽しいデートの食事が、相手の探り合いということになりゃ、なんか気まずいね。」

先生 「デートはそもそも、相手との探り合いでしょ。この人とやっていけるかなって。それをいかに楽しく過ごせるかも、試されている。一時的な感情に流されてはいけない。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ってことばがあるでしょ。
夫婦関係が悪いと、相手の作る料理もまずくなって、食べたくなくなるんですよね。」

 

寅さん「それ、先生の体験談かい?」

智恵子「寅次郎さん、違うわよ。先生の奥さんと私は、病院で同室だったの。
    料理は、ほとんど先生が作ったのよね。」

先生 「僕は初婚でね。相手は、同じ大学職場の先輩。再婚でさ。さっきいたやんちゃな学生、なちさんが彼女の娘。」

智恵子「子連れ狼ではなく、子連れ先生って、有名だったのよ。」           (春風のごと頬撫ぜて旅立ちぬ)

 

合作脚本づくりに参加したい人は、NPO熊野みんなの家にご連絡ください。

0735-30-4560

熊野の寅さんファンによる合作脚本 後ろ姿の寅次郎 熊野夢日記 2019.1~ 記号論風

シーン 記号性論 本宮の宿にて 先生と学生たち  (綾 順子 なち 

 

先生 「<記号>ということばを聞いたとき、君たちはどのようなことを思い浮かべますか?」

綾  「地図記号  ロゴマーク イラスト 図形 文字 シンボル 印 暗号 信号 符号 合言葉 え~と・・・」
順子  「数学 +とか- = ×・・・」
先生 「君たちは、大学生なんだから、せめてソシュール言語学記号学ぐらいは挙げてほしいですね。」
なち  「授業でも学びましたけど、所記と能記 ラング/パロール シニフィアン/シニフィエとか頭の中が、混乱してきます。」

f:id:k1s:20190127155451j:plain

先生 「今日は、授業でなくゼミの合宿だからいいますが、なちさん、恋愛をしましょうね。まあ、恋愛だけでなく、ひとと深く付き合えば、そこに必ず齟齬が生まれます。
 その齟齬を体験し、なんとか乗り越えようとするときに、ソシュール記号学記号論が生きてきます。
 でも、今日取り上げるのは、ソシュールではなく、チャールズ・サンダース・パースです。」

 

順子 「あんまり聞いたことのない名前ですね。 いつ頃の人なんですか?」
先生 「1839年アメリカで生まれた大天才です。 記号解釈とかアブダクションとかいう言葉を聞いたことはありますか。」
なち 「先生、お手柔らかに。」

 

先生 「二泊三日の日程をすべてパースの記号論につぎ込んでも、ほんの一部しか伝えられないと思います。ですので、君たちのこれから人生の探求に役立つことを願って、記号性論へのきっかけを創りたいと思っています。
 なちさん、空を見上げてください。」


なち 「雲が浮かんでますね。高いところで筋状になっているのが巻雲と巻積雲、いわし雲。それより低いところでぽっかり浮かんでいるのが積雲の片平雲。綿雲ですね。 明日もいい天気。弟が、雲を見るのが好きで私も名前がわかるようになりました。」


先生 「そうです。あの雲も、その解説も記号です。ほんとは記号としての働き、記号性があるといった方がいいかな。」

 

綾  「先生、コトバとか図形、動作や映像と同じようにどうして雲も記号なんですか? コッペパンや羊にみえたりするから?」


なち 「綾さん、雲って低気圧が通過するとき現れる雲の種類と順番がほぼ決まっているのよ。だから、経験を積めば、雲をみて、あと何日で雨になるか予想がついたりするのよ。」


先生 「自然界のいわし雲に記号性を見、いずれ天気は下り坂になるけど、明日はまだ晴れ、と記号解釈しているんだね。さらにそれらを記号として、弁当屋さんなら、明日の売れ行きの良し悪しを解釈したり、傘はいらないと解釈します。


 パースはね、ことばや図形だけでなく、見えたり、知ったり、考えたりするものすべてを記号と捉えたんだ。 
 そして、私たちは、世界を直接理解することはできない。記号性を通して解釈している、記号性と記号性を解釈した記号性解釈が、新たな記号性となり、それがまた解釈や行動を生むと考えた。」

 

なち 「先生、やっぱりむずかしいです。」
先生  「なちさん、やっぱり恋愛しましょう。 アブダクションの話をしようと思ったのだけど、さらに混乱するかな。」


なち 「先生、私の仮説、アブダクション、私、先生に恋しています。」
先生  「なちさん、今の発言にも記号性があり、君自身もまるごと記号性がありますね。 どう解釈しましょうかね。」
なち 「ふらここや少し汗出る戀衣 柔肌の熱き血潮に触れもせで寂しからずや道を説く君」
綾   「先生、なっちゃん。親子で何戯れているの?」
なち 「だって私たち、親子でも、血のつながってない親子ですもの。いいでしょ。」 (鞦韆にこぼれて見ゆる胸乳かな)

 


シーン 記号性学2 宿にて 先生と女学生たち

 

先生 「さて、夜の講義を始めます。 ここ熊野は、甦りの地と言われています。甦るということは、一旦死ぬということです。生老病死ということばがあるように、「死」は私たちにとって大きなテーマであり、苦しみや執着の原因でもあります。

 今夜の講座は、瞑想の手法を使います。 これまでも止観瞑想の方法はお伝えしてきましたね。

 皆さんにこれから質問します。 それをそのまま、自分に問うてみてください。

 今、心臓が止まっている人、手を挙げてください。 いませんね。おそらく65前後の心拍数でしょう。心臓が止まっていては、あなた方は活動できません。 では、そのあなたの心臓を誰が動かしているのでしょう?そして誰がやがて止めるのでしょう?
     
 今、私は、日本語を使って話をしています。この発言された文章も、文脈も記号です。私達は、この記号なしで、考え事をできるでしょうか?

 

 あなたにとって、あなたの神は、どのような存在ですか?
 どのような存在であるかを、あなたはどのようにして知ったのですか?

 直の体験?伝聞?推論?

 あなたにとって、あなたの神は、あなたが認識できる対象なのですか?
 つまり、あなたが認識できる他の事物と同等の存在なのですか?

 

 あなたにとって、あなたの死は、どのようなことなのですか?
 脳や心臓の停止? 思考の停止? 元素への分解? 肉体からの分離?
    

 例えば、目の前のコップを持ち上げ、水を飲むとき、筋肉の調整に、どれくらい脳が働いたか自覚がありますか?
    

 肉体から分離するとして、ではなぜ、それまで肉体の中に宿っていたのですか?
    

 なぜわざわざ肉体と一致していたのでしょうか? 最初から、肉体から離れていたほうが、自由でしょうに。
    

 生きているあなたが、どのようにして、あなたの死を知ることができるのですか?
 直の体験ですか? 伝聞ですか? 推論ですか?

    

 あなたは、無ということばを知っていますね。 あなたにとって、無とは何ですか?
 無について、何か語ることができるのでしょうか?

     

 あなたは、全体ということばを知っていて、使ったりしますね。
 今あなたの目の前に、愛読している本があります。
 あなたは、その本の全体について語れますか、知ってますか、みえますか。
 表紙を見ているときには、裏表紙や背は見えません。あるページを読んでいるとき、他のページは見えません。

 

 あなたの前に、あなたが愛用しているティーカップがあります。このカップの全体について、語ってみてください。色、形、触感、掌に載せたときの重さ、どのような経過で、目の前にありますか?それらを全体と言えますか?

 

 あなたは、あなたの神について、あなたの死について、あなたの無について、あなたの全体について、実感に基づいて、直の体験に基づいて、何か語れますか?

熊野の寅さんファンで作っている「男はつらいよ」合作脚本 後姿の寅次郎 熊野夢日記

シーン 熊野古道 女学生を引率する先生の話
 
先生 「私たちの大学の学生の多くが洗礼を受けた信徒です。家に帰れば、きっとご両親やご家族も信徒であり、高校ももしかしてキリスト教系の高校を卒業しているかもしれません。まあ、生まれてきた時から、キリスト教家庭であり、周りも信徒さんが多かったと思います。それで質問ですが、今の日本の人口で、洗礼を受けた信徒さんの数は、何%くらいだと思いますか?

 

女学生「10%くらいかしら。小説家とかタレントさんにもたくさんいるよね。麻生さんもそうかな。」

先生「約1%と言われています。1%ではありますが、明治時代以後、西洋文明を吸収しようとしてきた日本の文化に、キリスト教は深く影響を与えています。どうですか、君たちの世代は年号を言う時、西暦の方が多いのではないかな。」

女学生「そうなの、文献を調べていて、明治何年、大正何年、昭和何年、と出てきても、西暦に置き換えないとイメージがわかなかったりするわ。」

f:id:k1s:20180914123131j:plain

先生「聖書を1頁も読んでなくとも、日本人は、聖書に出てくる言葉を知っているのではないでしょうか。」

女学生「旧約聖書でいえば、アダムとイブ。禁断の果実。ノアの箱舟バベルの塔モーセ十戒シバの女王。右のほほを打たれたら、左のほほも出せ。最後の晩餐。復活。隣人愛。

 

先生「日本人の日常生活のコトバにもよく出てくるが、知識としてそれら聖書の中のコトバを知っていることと、私のこと、私の課題がそこに書かれていると思って聖書の言葉を読むことは、同じではないのはわかるね。
 

 ずいぶん誤解もある。それは、洗礼を受けた信徒さんも同じだよ。例えば、新約聖書は4世紀までなかったことを知っている人は少ない。十戒の戒、戒めという言葉から、十戒は神からの戒め、命令だと思っている人もいる。隣人愛というと、すぐそばの人を愛することだと思っていたりする。律法学者を、頭の固い人の代表みたいに捉えていたりする。そして、律法とは人を縛る悪しきものと捉える。一神教唯一神といったとき、一、二、三の一と捉えていたりする。つまり、たくさんあるうちの一つを選ぶことだと思っていたりする。神を、対象として、人間が捉えることができると思っていたりする。」

 

女学生・綾「先生、新約聖書は、イエス・キリストが十字架に架けられた後、すぐにできたんじゃないんですか? その頃の信者さんは、何を読んでいたんですか? 」          
女学生・はるか「十戒は、するなかれという命令ではないのですか?
        太陽が一つであるように、神も一つと思うのは間違いなんですか?」

 

先生「イエス・キリストは、ユダヤ人であり、木を伐り、石を割った大工であり、ユダヤ教徒だよ。周りにいた人々も、モーセ五書を読んでいただろう。トーラー、律法をね。はるかさん、確か君は、ご両親も信徒さんだったね。お兄さんは、京大大学院文学研究科で、思想文化学を学んでいるだろう。有賀鉄太郎先生が提唱したハヤトロギアや万有内在神論をテーマにした授業のとき、君は法事で休んでいたんだったっけ。十戒ヘブライ語から忠実に翻訳すると、十のコトバという意味です。なになにするな、ではなく、救われたあなたは、当然しないだろう、と訳する方がよりヘブライ語に近いです。今言ったことは、今夜の宿で、ゆっくり丁寧に語ろうか。」

 


シーン 救い 年の瀬や 満たされないまま満たされる

 

清乃 「寅さん 救いってなんだろね?」
寅さん「高尚なことはよくわかんないけどね 満たされないまま満たされることかな
私ね、こんな商いしてるから お正月を自宅で過ごしたことがないんだよ。一家団欒、お正月はおせちを食べながらゆったり愛する家族と過ごす、いいねえ。
 家族だから仲がいいとは限らないけどね。でもあれがない、これがない っていいだしたら きりがない。満たされない穴が沢山あってもだよ、必ずどっか余裕のあるところ、出っ張ったところがあるさ。その余裕を、近くにいる人の穴にそそぐ、商いっていうのはね、お金儲けのことではなく、お互いの空いているところ、余っているところを
縄をなうようにすり合わせることを言うんだね。


 人間なんて穴だらけさ。笊みたいなもので、注いでも注いでも、抜けていく。そんな穴だらけでも、近くにいる人の役に立つことを考える、これが救いかな。
 それとね、穴があって、次々抜けていくのに、次々注がれる、というのも救いだろうね。となると、穴があってもいいんだな。むしろ、ひとのからだ、というのは大きな穴そのものなんじゃないか?


シーン 自力と他力 自由 智恵子の経営するレストラン 本棚があり 安朗は 
中上健次の「水の女」、マーク・トウェインの「人間とは何か」を取り出し、パラパラめくっている。


寅さん「安朗くんていったかね、青年よ。耕さぬ遊民であることに罪を感じている…
おじさんもまた、耕さぬ遊民の先輩だ。その先輩から、君の考えていること感じていることへの感想を述べさせてもらっていいかな?」
安朗 「どうぞ、お願いします。」
寅さん「君は一体何を求めているんだい?」
安朗 「自由に生きたいんです。親から、親せきから、会社から、常識から。自分の人生を自分の意思で選んでいきたいんです。」
寅さん「君はとっても真面目だ。 真面目は喜ばしいことだ。だけど、真面目過ぎると、息が詰まるものだよ。
例えば、君は今、こうして、色々感じ考えている。それは、何語で考えている。」
安朗 「英語、ドイツ語、ヘブライ語を話せるけど、普段は、日本語ですね。」
寅さん「その日本語を君は自由意思で選んだかい?」
安朗 「いえ、気が付いた時には、しゃべっていました。それにほかの選択肢はなかったです。」
寅さん「世界中の赤ん坊が、そうなんだよ。何を言いたいかというとだね、自分の意思で選んでいるつもりのことでも、つまりはそうでもないということさ。

 

 他にはさ、おしっこがそうだね。催してきて、トイレへ行く。自分の意思で、行っているようだけど、そもそもおしっこに行きたくなるのは、自分の自由意思ではない。適当な場所がなくて、我慢するのは自由意志かもしれないが、適当な場所を見つけて放尿する。その時、膀胱を収縮させるのも自分の意思ではない。
 言ってみりゃ、生きていくのに必要な水を飲み、それがやがておしっことなり、放尿するのは他力、我慢するのが自力、つまり自由意思だな。年取ってくるとな、あーと背伸びしただけで、もれちゃうことだってあるんだぞ。自力、自由意思が大事と、あんまり頑張りすぎなくてもいいんだよ。あ、催してきた。ありがたや、トイレへ行くたびに他力を感じることができる。
 他力の大地に、自力の花が咲くと来ら~。」(寅さんトイレへ向かう)

「男はつらいよ」後姿の寅次郎 熊野夢日記 <食べ物はすべて毒 ことばも毒 教育も毒 >

シーン 寅さんと大石清乃の母 智恵子の会話

   「食べもの,ことば、教育は、すべて毒 」

智恵子「わたしね、今こうして元気に過ごしているけど、20歳のころはそうでもなかったの。そんな私だけど、結婚は早かったの。それが、彼の家は奈良県の有名な山林地主でね。事業も手広くやっていて結婚後10年経っても、子どもができなくてね。それどころか、寝込んだりすることも多くなってね、それで、離縁になったの。それからいろんな健康法とか興味を持つようになって、料理も工夫するようになり、元気になり、再婚し、それで今こうして自然食レストランをしているのよ。

f:id:k1s:20180827172552j:plain

 自然食レストランしていながら、こんなこと言ったら変に聞こえると思うけど、私が経験の中で得た結論は、「食べ物はすべて毒、犠牲の上に成り立つ毒」ってこと。食べ物だけではないわ、「コトバも毒」、「教育も毒」だと思うの。でもその毒なしでは、ヒトは生きられないと。

 

寅さん「食べ物も、コトバも、教育もみんな毒、か」
智恵子「そう思って調理し、言葉を使い、教育したほうが、自分の間違いに気づきやすいと思うのよ。ヒトに良かれと思って作った料理でも食べ方によっては、害にもなるし、相手のためと思って言った言葉ほど、相手が受け取らなかったら、腹を立てたりするでしょ。教育もそうじゃないかな、知恵や知識が身につくことは、生きていくには必要だけど、同時にどこか不完全で、気づかないうちに間違っていたりしていると思の。確かに、目の前のことには役に立っているけど、自分の知らないところで害を与えているかもしれないと思っている方がいいと思うの。自分は正しい、と信じて疑わないヒトって、危険だと思うのよ。

 

寅さん「私ね、16の時に家を飛び出して、それから放浪の暮らしを続けてきたんです。19歳の時、一文無しになってね。山形県寒河江という町で、あまりにもお腹が空いて倒れそうになり、駅前の食堂に飛び込み、お金はないけど、何か食わしてくれ、って言ったらそこの食堂の人が親切にしてくれてねえ。お雪さんっていうんだ。そのお雪さん、乳飲み子を抱えて一生懸命頑張っていたよ。お雪さん、ある男にだまされてねえ。自分に、学問がないから男の不実を見抜けなかった、といっていたそうな。


 学問がないって悔しいよねえ。(第16作 葛飾立志編 1975年12月封切り マドンナ 樫山文枝)あの時、受け売りで、学問とは自分を知るためにするんだ、と言ったのだけど、自分を知るって、自分の無知や間違い、思い込みに気づくことだと今なら思う。教養がないと、だまされやすい、なまじっかな教養があると、自分は偉いと思ったり、人を騙したりする。言葉とか教育って、毒かもしれないねえ。」
    
二人が話しているときに、近所のおばあさんが、やって来る。

             

おばあさん「清乃ちゃん、ある?」
智恵子「いまいないよ。今日はガイドの日と言ってたから、夕方には帰ると思うよ。」
おばあさん「そうかい、じゃ夕方また来るよ」


寅さん「いまのおばあさん、清乃さん「ある?」 ってきいたよね。」
智恵子「そう、もうお年寄りの人しか使わなくなったけど、熊野地方では、ひとも「ある?」ってきくのよ。私も、奈良へお嫁に行ったとき、つい使ってしまって、笑われたり、叱られたりしたわ。


 幼いころから、何気なく使っていたけど、清乃がね、学校で、職員室へ「先生ある?」って入っていって、よそから赴任してきた先生に叱られたといってね。「ヒトにはあるは使わない、あるだとモノ扱いだ、いるといいなさい」ってね。その時、清乃と調べたの。


 熊野弁のあるってね、漢字で書けば、あるなしのあるではなくて、生まれるという漢字を書くの。
(智恵子、紙に生ると書く。)
 モノのようにある、ということではなく、広い関わりの中で生きている、生きて活動している、というのが熊野地方の「ある」なんだよね。古語辞典で調べたら、そう書いてあったの。

 

寅さん「ここは、半島の端っこの、山奥だから、古い雅な言葉がのこっているんだねえ。お雪さんは、亡くなってこの世にいないけどね。飯を食わせてくれたあの時から、ずっと生きてる。あるんだよね。」

 

智恵子「寅さんは、聖人君子でないところが素敵ね。
私ね、別にキリスト教徒ではないのだけど、聖書に関係する本を時々読むの。後ろ姿のイエス・キリスト 寅さんも後ろ姿いいなあ。姦淫の罪でイエス・キリストの前に連れてこられた女に対して、イエス・キリストがこう言う場面があるの、「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい。」聖書の中では、誰も投げつけなかったのだけど、聖人君子とか、聖人君子でなくてはならないと思っている人は、正義に基づいて石を投げつけるように思う。

 

シーン 安朗と清乃の会話

安朗「私たちは、永遠という言葉を知っています。日常生活の中で使ったりもします。
   それで、清乃さん、永遠って、具体的にはどういうことだと思いますか?」
清乃「安朗さん、私たち出会って間もないのに、いきなりな質問ですね。」
安朗「そうですね、いきなりこんな質問して変ですね。でもあなたのそばにいると、何の説明もなしに、自分の思っていること、考えていること、疑問に思うことをそのまま話せるような気がしたものですから。」


清乃「それは、私もです。ところで、永遠を名詞としてつかってらっしゃるの?
永遠って言葉、ものの名前と同じような使い方ができるのでしょうか?時間のこと、存在のこと、働きのこと、コトバのこと、永遠について語るには、それらについても語ることになると思うんですが、語れば語るだけ、遠ざかる気もします。確かに私たちは、日常生活の中で永遠全体、神という言葉を使うけれど、永遠というものを探し始めると、見つからないのじゃないかな。」

 

安朗「永遠は、ものではなく、ことだということでしょうか?」

清乃「ことばって、事の端という意味もあるでしょ。永遠とか、全体とか、神とかは、切り分けできないことでしょ、だから、言葉で表現すること自体に限界があるように思うの。わたしのおかあさんね、「言葉はみんな毒なのよ。でもその毒なしでは生きられない」とよくいってるわ。毒っていうと、みんなびっくりするけれど、ほら、漢方の考え方だと、同じ植物でも、使い方と量によって、毒にも薬にもなるってことよね。


 わたしね、中学生のころから、地元の俳句会に通っているの。限界のあるコトバで、その永遠を表現し楽しむのが俳句と思っているの。近々、俳句会があるのよ。一緒に行ってみませんか?

安朗「ぜひお願いします。」
清乃「先ほどの質問ですけど、芭蕉の俳句に<よくみれば薺花咲く垣根かな>という俳句があるの。それが私の永遠についての応えかな。」
   色川や年末なれど裾模様 挨拶句   甘嚙みの鼻肌に触れ 冬銀河

 


シーン 寅さんと安朗 清乃に案内されて 地元の俳句会に出る 俳句会の後 寅さんが旅の話をすることに

寅さん「えー、ご紹介にあずかりました車寅次郎です。何かお話を、ということですが、私は御覧の通り、旅を続ける渡世人です。その土地土地のお祭りで、商売をさせていただいています。そんな、私には高尚な話は期待できないでしょう。そこで、これから皆さんと過ごす時間、ああ楽しかったな、という時間になればと思います。なんでもいいからお題をいただくとか、質問とかございますでしょうか?

 

同席者「寅次郎さんは、色んなお祭りで商売しているといいましたが、寅次郎さんは、神様を信じてるの?」

 

寅さん「先ほど、高尚な話は期待できないといったんですが、いきなり難しい質問ですね。私は恋を幾度もしましたが、結婚は一度もしていません。つまり、おかみさんは、私にはおりません。私には居りませんが、おる人にはおる。この地方では、「あるひとにはある」というのかな。しかし、私も、いつもかみさんには憧れて居ります。実際には、みることも触れることもできませんが、時には話しかけたりもします。
 人それぞれのかみさん、太郎のかみさん、次郎のかみさん、三郎のかみさんのことについては口も手も出しません。それぞれの縁があって出会ったのでしょうから。」

 

同席者「寅次郎さん、最近地元の若者も使わなくなった「ある」ってことば、誰に教わったんだい?」
寅さん「ええ、それは、<わたしはある>というおかみさんから」

 

若い参加者「車さん、僕テレビや映画で啖呵売を見たことはあるんですが、実際に見たことがないんです。何かやってみていただけないでしょうか?」

 

寅さん「そうだね、先日バザーで石鹸が並んでいました。石鹸、ボンシャの啖呵売してみましょう。

 さてみなさん、花に色香があるように ことばにも色香がある。
 私が思うに、色香はほんのり漂うのがいい。
 悪臭を消すために、いい香りを使ったりしますが、
 どんなにいい香りも、強すぎたり、長い時間嗅いでいるとむせてきます。
 だけど、香りを放っている本人はそのことに気が付かない。
 ここに並んでいるリンジン石鹸 嗅いで見てください。

 ほとんど香りがいたしません。
 この石鹸で体を洗うと、あら不思議。
 はじめは香りがしないのに、しばらくそばにいると、ほのかに香る。
 その香りは、遠い故郷の海山川、懐かしいお母さん、幼馴染の香り。
    

  本来ならば、角は一流デパート、赤木屋 黒木屋 白木屋さんで、紅白粉(べにおしろい)つけたお姐ちゃんから、ください頂戴で頂きますと、千円、二千円はする品物。
卸問屋の青木屋が、訳あって、泣きの涙で放出したものです。


 いつもなら、いい品物を「あなたがたに」安く売るのが私の商いですが、
このリンジン石鹸に限っては、値下げいたしません。分かる人にだけお分けいたします。まずは、「あなた」が使ってみてください。一個千円。さあどうでしょう。

 

若い参加者「買った。一箱下さい。」
寅さん「お兄さん若いのに、花の色香、ことばの色香がわかるんだねえ。見上げたもんだよ、屋根屋の褌てね。」