2015-01-01から1年間の記事一覧

「つながる」とはどういうことだろう

「ひととひとがつながる」「いのちといのちがつながる」という表現があります。つながりのことを「絆」といったりします。つながりの実感がないことを孤独とも言ったりします。古代ギリシャの哲人が「人は社会的動物である」といいましたが、私たちの人生は…

ちうくらいなりわが人生

学校で出される試験問題には、必ず唯一の正解がありました。生徒である私たちは、時間内にその正解を解答用紙に書かねばなりませんでした。そんな暮らしを十数年も続けていると、問いかけ、課題には、必ず唯一の正解・悟りがあるという条件反射付けが生まれ…

「自然」という言葉や映像について

私たちは、日常生活において、「自然」という言葉(や映像)をよく使います。例えば「豊かな自然」「自然保護」「自然経済」「自然エネルギー」「自然体」「自然生活」「自然治癒」「自然科学」「自然食」など。 よく使われる言葉でありながら、その言葉に込…

「さか」はどちらでもあり、どちらでもない

以前から夏落葉が溜り始め気になっていたのですが、台風で更に折れ枝が散乱したので、掃き掃除を始めました。made in chinaの竹箒で濡れ落ち葉を掃くのは手ごわいです。手の皮が一部擦り剥けてきました。痛みの中で、お猿さんも同じ山に住んでいて、彼等は掃…

古語「さか」「さかひ」から黄泉比良坂

坂を歩いていると坂にまつわる話が思い起こされます。古事記に出てくる黄泉比良坂はこの世とあの世の境にある坂です。 イザナギとイザナミは、夫婦で国造りをします。ところがイザナミは、火の神カグツチを産んだとき大やけどを負い亡くなります。(日本書紀…

みどりかがやく

現在、地球のどこかでは、国と国の紛争、政府と反政府勢力の戦闘が起きています。また平和な法治国家であるといわれている国でも、貧富の差の拡大、暴力による犯罪・殺人が起きています。 そういった私達人間の暴力の根源を、他の動物たちと共通する、食べ物…

生(あ)るがまま

熊野地方では、ひとや生き物に対しても「ある」といいます。 古代語で「ある」は「生る」 神聖なものが生まれることふりかえって 「私個人の人生」 「わたしのいのち」 なのか? (近・現代人の錯覚) 「わたしに託され 生(あ)るいのち」 なのか。ものいわ…

熊楠の森を歩こう

私達は、ヘレンケラー自身やサリバン先生が書いた本、それらをもとにつくられた映画を通して、「ことばを獲得する」ということがいかに大事であるかを改めて学びます。 私達は、ことばを通して、考え事をし、世界を認識し、情報(や思い)を伝えあおうとしま…

熊野 巻絹の友

ながぐつに花びらをつけ朋来る 今朝も雨。雨もまたよろし。 朋は 「巻絹」の友。

風光る熊野 三月

空光り 山光り 海光る熊野 光る水面を観ながら、いつもこの光が世界最高の光であり、誰のものでもあり、誰のものでもない光と思いながら暮らしてきました。 今日は朝から風も光っています。風が吹く度に、常緑広葉樹の葉がさざ波のように光ります。

祈りの歌とちうぶらりと恩寵

春眠暁を覚えずの言葉の通り、この時期の朝、布団から出るのがとてもおっくうに感じます。起きなくていい理由を限りなく考えます。 起きる理由が思いつきません。 とはいえ、起きたくても永遠に眠らなくてはならない日がいつか必ず来ることだし、現実何時ま…

活きた時間を生きる

人間以外の生命体で、遠い未来のことや遠い過去のことを考えながら生きている生命体がいるのでしょうか? 人間以外の生命体は、人間のように、ときの流れを、外から(客観的に)眺めるのではなく、ときの流れに溶け込み、一体となって生きているのでしょうか…

ときはながれ、ときはめぐる

私達は、私達の人生より短い時間なら実際に味わうことが出来る。例えば1時間人を待つとか、1年かけて絵を描くとか。 では、自分の人生より長い客観的物理的時間をどうやって味わうこと、体験することが出来るのか、単純に考えると出来るはずがない。何かに託…