「さか」はどちらでもあり、どちらでもない

 以前から夏落葉が溜り始め気になっていたのですが、台風で更に折れ枝が散乱したので、掃き掃除を始めました。made in chinaの竹箒で濡れ落ち葉を掃くのは手ごわいです。手の皮が一部擦り剥けてきました。痛みの中で、お猿さんも同じ山に住んでいて、彼等は掃除などしないけど、私はなぜしているのだろう、と思いました。美を求めて?社会的ルール?修行?
 
 香厳禅師のように十数年も「父母未生以前の一句」の公案を掲げての掃除ではないので、掃き掃除の中で「一撃忘所知」の大悟もおきるはずもなく、「なぜ掃除などをしているのだろう」の自問に還ってきたのは、「なぜそれを問うのか?」という山からの逆質問。掃いているうちに、問いかけも答えも忘れてしまい、気持ちの良い汗。

 我が家の玄関は「さか」の途中にあります。「さか」は、下り坂がそのまま上り坂。「さか」はどちらでもなく、どちらでもあります。