2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧

信じるということ「笑う門には福来る」

「笑う門には福来る」という諺の意味を、大人なら殆どの人が知っていることでしょう。 積極的な意味としたら (どのような状況の中にあっても、)目の前の事態を深刻がらずに受け止め、適切に対処していると、事態が好転したりする、という意味でしょう。 こ…

自力門から他力門へ

自力門 「私が何とかしなくては。」 (でも、問題が大きすぎて、私はあまりにも非力だ) 他力門 「私も何かさせて頂こう。」 (たとえ、無一文でもできることがあるはずだ。)

NPO熊野みんなの家 心理学春講座資料  テーマ「称名念仏とカウン

はじめに 春講座の目的 生老病死、四苦八苦。いつの時代であっても、どのような境涯であっても、人生には様々な課題が待ち受けています。どの課題解決方法を選ぶにしても、その根本になるであろうと思われる「信」について共に見つめ直してみましょう。提起…

The power of words. mild and wild power

The power of words.という題名の動画が、フェイスブック上にアップされていて、昨日そのリンクを観ました。 内容としては、目の不自由なホームレスと思われる男の人が、乞食をしています。路上に座り、カン缶を置き、その横の段ボールには「I'm Blind . Ple…

言葉が通じるということ

<「ことば」は通じているのだろうか?> 日常生活の中で、「ことばというものはまるっきり通じていない」と思っているなら、そもそもそういう発言自体をしないですね。「お水を一杯ください。」と言って、水を頂けたら、それで話は一応通じているということ…

朝、慧能さんがやってきた

あと数日で、大学(通信教育部)を卒業します。 その大学は、仏教系の大学で、教養課程では「仏教」の科目が必修でした。 今から40年前、私は、大学を中退ではなく初退したので、一回生からの入学でした。 「仏教」の授業で、仏教の基本的な教えとは、という…

40年ぶりに倉田百三を読む

高校生の頃、倉田百三の「愛と認識の出発」を愛読書にしていました。同級生が「三太郎の日記」を持ち歩いていたので、それに対抗してのええかっこしいの思いもありました。といっても、両書は40年前でも一時代前のあまり注目されない書籍でした。そして、卒…

刺激の文脈依存性

行動分析学では、外から観察できる身体運動だけでなく、知覚、思考、意識、言語活動も「行動」であるといいます。 例えば、佐藤方哉著「行動理論への招待」大修館書店刊 には 「<考える>とは、みずから適切な弁別刺激を生みだすオペラント行動なのです。」…

「動いていないモノ」は動いている 陰陽原理

「みる」という言葉に続いて、「動く」という言葉から、言葉の働きや、モノゴトの見え方の違いについて考えてみようと思います。 今実際住んでいる世界を見渡して、動かないモノの代表として挙げられるのが「大地」でしょう。 大地が動くと、それは「地震」…

みるということの複雑性

「みる」という単語は、別段難しい意味を含んだ単語ではなく、一日の内でも、頻繁に使われる単語だと思います。そして、実際に「みる」ことなしに、私達の暮らしは成り立ちません。 漢字で表現すると、観る、見る、診る、看る、視るなどもよく使われます。 …

「冷蔵庫は冷蔵庫ではない」という変な電気屋さん

雅夫君と好子さんは、郊外にある電気量販店に出かけ、冷蔵庫を買うことにしました。 街を出たところで、小さな新しい電気屋さんを見つけました。 「あれ、こんなところに電気屋さんあったっけ?」と雅夫。 「新しくできたのよ。時間があるから寄ってみようよ…

非在の現前化 文脈 物語

寒い夜に、橋のたもとに一人の女の人が佇んでいます。男の人がやってきます。 男「どうしたの、寒いのに。」 女「あなたがここを通るだろうと思って。」 男「馬鹿だな」 さて、この「馬鹿だな」という言葉の意味は、どういう意味でしょう。 たった数行の文章…

モンテーニュとパスカル

パスカルと言えば、今は気象情報の気圧の単位がミリバールからヘクトパスカルになって、よく耳にしますが、私は、パスカルが書き残したメモの中の言葉「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」とい…

NPO熊野みんなの家3月講座の報告

昨日は、市野々にあるNPO熊野みんなの家で、「行動分析学初歩のお楽しみ講座」を開催しました。当地方では、行動分析学や行動療法を学んでいる人はおそらくいないだろうと予測していたので、サロン風にお茶とお菓子を頂きながら、具体的な日常の行為から、学…

存在と認識の二重性 内言・外言

「モノ」や「こと」の存在が先ですか、それとも「名前」が先ですか、と問われたら、殆どの人は「モノ」や「こと」の存在の方が先、と答えることでしょう。先ず「モノ・こと」の存在があって、その一つ一つに対して、私達が名前を付けているのであると。その…