刺激の文脈依存性

k1s2013-03-12

 行動分析学では、外から観察できる身体運動だけでなく、知覚、思考、意識、言語活動も「行動」であるといいます。
例えば、佐藤方哉著「行動理論への招待」大修館書店刊 には
 
「<考える>とは、みずから適切な弁別刺激を生みだすオペラント行動なのです。」
「いわゆる<意識>とは、言語行動であるということがいえましょう。言語行動とは、社会の成員による人為的強化随伴性によって強化されることにより形成されるオペラント行動ですから、社会、すなわち言語共同体なしでは、<意識>は存在しえません。」
 
更に言語行動のマンドとタクトについて
「マンドとは、特定の動因操作条件のもとで、それに関連した強化を受けて条件づけられたもの」
「タクトは、マンドのように特定の動因操作に関連した強化刺激によって強化されるのではなく、般性強化刺激によって強化される言語行動です。」と説明しています。
 
レスポンデントとかオペラントとか、マンド、タクト、随伴性など、行動分析学の本を読んでいると、耳慣れない言葉が出てくるので最初は戸惑いますが、基礎からその言葉の意味を学習していくと、(時間はかかりますが)、それは行動についての丁寧な地図を作るための用語(記号)だと分かってきます。
 
でも、地図は地図です。
 
「対象となっている人にとって、何が正の強化刺激で何が負の強化刺激かを見い出すといった基本的な分析から出発するのが正道なのです。」
とあります。
 
グレゴリー・ベイトソンの本の中にある
「幼い子供がホウレンソウを食べるたびに、ごほうびとしてアイスクリームを与える母親がいる。この子がa−ホウレンソウを好きになるか嫌いになるか、b−アイスクリームを好きになるか嫌いになるか、c−母親が好きになるかきらいになるか、を知るには、ほかにどんな情報が必要か。」
という提議は大切です。
 
何が正の強化刺激で何が負の強化刺激か、そこには文脈があります。文脈があるということは階層性があるということです。
 
行動分析学は、感とか啓示を頼りに歩くのではなく、地図を頼りに歩こうとしているのだと思います。
しかし、地図というのは、現地を歩きながら描くものでしょう。
 
それに、行動分析学の地図は、うっかりすると平面的になりがちで、平面を超える刺激が、文脈や階層性であり、それをあるとき、あるひとは「感」とか「啓示」と言ってきたようにも思います。