苦しみ・問題の解決を 行動の変容から考える

〇考える前の話題提供
 

 山の中のある中学校の一年生のクラスで、体調不良を理由に欠席や早退する生徒が目立つようになったので、教師、職員、生徒、学校医、保護者、卒業生、地域住民など、関係者一同が集まって対策を相談しました。
 
 
 その結果「なにかからだにいいこと、健康増進になること、体温が上がることを始めよう」ということになりました。

 さらに「クラス全員で、お昼休みにスポーツをしよう」ということになり
 「野球をする」ことにしました。

 次の日の昼休みから、道具をそろえて始まりました。
 クラスの生徒を、二組に分けました。

 後攻のチームは、各ポジションの守備位置につきました。
 先攻のチームの先頭打者が、打席に立ちました。
 投手が、捕手に向かって球を投げます。
 打者は、投げられた球を、バットに当て前に飛ばそうとします。

 クラスは全員一緒に、健康増進のために「野球をする」という同じ「行動」をしています。
そして、野球をするにあたって、クラスのメンバー一人一人が行う行為は、それぞれ違った別の行為です。
(行動というコトバと、その行動の要素としての行為というコトバを使いわけましたが、日常生活の中では、どちらも行動というコトバを使ったりします。そして、そのことが情報や思考の混乱につながったりします。)

打者は、投げられた球を目測し、バットで当てようとします。
その為には、息をする、あるいは息を止めるという動作、球を見るという動作、二本の足で立つという動作、球の来るコースに合わせてバットを振るという動作など、筋肉の動きを連動させる動作をします。
(更に、ある行為を支える要素として「動作」というコトバをつかいました。)
(息をする、球を見る、二本の足で立つ、バットを振る、ということを、筋肉にだけ注目すれば、それらの動作は更に、筋を弛緩させることと緊張するという要素に分けることができます。もちろん、その筋肉の弛緩と緊張は、神経系統の働きがあってできることです。)
 

 ☆ここで少し視点を変えます。

打った球が、前に転がれば、打者は一塁の方へ走ります。守備の側の人々が、その球を一塁のポジションにいる人に届けるよりも前に、一塁のベースに行っていなければなりません。その為、バットを捨て、走るという行為を行います。一塁に向かって走る行為は、これまでに誰かにコトバによって、教えられ学習したことです。
 

〇話題提供で、伝えたかったこと

以上のように、人間の行動の成り立ち、変容については 
生得的、遺伝子的な反射、反応(走性、無条件反射) 生後身につけた条件反射(レスポンデント反射、オペラント反射) 学習、コトバによるルールに従う行為、などがピラミッド状に重なっており、さらに 何らかの環境との相互作用の中で、前後関係、文脈があって生まれ、変容していきます。

 土砂降りの雨の中では、野球はしませんね。ルールが理解できない幼児にもできませんし、立って歩くことのできない赤ちゃんはなおさらです。普通野球のチームは、9人ですが、人数が集まらないときは、三角ベースといって、2塁をなくしてしまったりします。つまり、環境やルールを変えることもあります。

 私たちは、日常生活の中で、「行動を変える」という表現を使って会話することがありますが、それは刺激に対しての反射反応を素早くすることなのか、今までと違う反射、今までと違う筋肉を働かせることなのか、行為を制御していたルールを変えることなのか、行動を導いていた前提、考え方、世界観を変えることなのか 色々な意味、レベルがあるということです。そして、実のところ私たちは私たちの行動のどのレベルを、どれだけ変容、制御できているのでしょう? 
 
 
〇どこの何を変えますか?

 太郎君は体調不良を理由に休んだことも、早退したこともありません。ただ、太郎君は、三振することが多いです。そこで、三振を少なくするには、自分の行為、動作のどこを変えればいいのかと考えました。
 太郎君、指導する先生、クラスメイトそれぞれがそれぞれの見方、考え方があろうかと思います。
 あなたは、どのように考えますか?
 
 大抵は、太郎君の技術的な面、心理的な面を考えがちなのですが、学校医ならば別のことを考えるかもしれません。例えば、太郎君の視力です。先ほど、人間の行動は、様々な行為、動作から成り立っている、生得的な反射から、生後身につけた反射、学習、言語による支配、環境との相互作用、文脈といいましたが、ひょっとして、生得的、遺伝子的レベルに問題があるかもしれません。視力を検査して問題があれば、学校医は眼鏡をかけることを勧めるでしょう。

 太郎君は、外角の球にはよく反応するのですが、内角の球は打っても詰まってしまうのでストライクでも見逃すことが多く、またストライクゾーンから外れた球にも手を出し空振りすることで三振が多かったとします。
 
 太郎君の三振の数を減らそうと意図したとき、あなたは何をどうしますか?
 
 もし、あなたが太郎君のこれまでのバッターボックスでの行為の傾向を指摘するとして、太郎君はあなたの指摘をそのまま受け入れるでしょうか?
  
 太郎君が、三振が多いと感じていても、更にその細かい有様、自分の打撃フォームが内角向きでないことを感じているかどうかは、指摘を受け入れるかどうかに影響することでしょう。

 たとえ指摘がその通りであっても、これまでの太郎君との関係も、指摘を受け入れるかどうかに影響することでしょう。
 
 太郎君から「指摘はわかったよ、ではどうすればいいの?」といわれたとき、あなたは対策案がありますか?

 例えば、もう少しベースから離れた位置に立つ、バットを短めに持つ、腕をたたむ、肘を抜く、投手の投球動作をよく見て、癖を知る、例えばマウンドでの軸足の位置。

 対策案を取ることで、打撃フォームが変わり、効果がすぐに表れなくても、今まで打てていた外角の球も打てなくなっても、あなたの指摘、対策案を続けるのは、どういう条件の時でしょう? コトバで表された内容(Aという行動、行為、動作をすれば、aという結果が生まれるよ)に納得する(内容は納得していても、からだが付いていかない)、あるいは、内容はともかく、あなたを信頼しているとか。
(巨人の坂本勇人選手はレフト方向への内角打ちの得意な選手でしたが、2013年ライト方向へも強く打てるように志したことで、その年は打撃不振に終わりました。https://www.youtube.com/watch?v=BC_GWntPIys

 太郎君のバッターボックスでの行為は、ある程度パターン化・習慣化していると思います。自分にとっての好球とそうでないコースの球の太郎君なりの基準があって、それが一般的な基準、投手の基準、アンパイヤの基準とは違うわけです。ですので、内角のストライクを見逃す、あるいは手が出ない、ストライクゾーンから外れた球にも手を出して空振りする。打席に立って球を打つ、というコトバは理解できていても、内角を打つときのフォームと、外角を打つときのフォームは同じではないことを理解していないかもしれません。
 こう表現すると、パターン化とか習慣化した行動、行為はよくないことのように聞こえますが、そうは言いきれません。パターン化、習慣化することによって、判断が早くなります。

 人間の行動を振り返ったとき、ある刺激に対して常に決まった反応が選ばれる固定的な行動(無条件反射)、選択肢を複数持っていて、そこから選ぶという先ほどの唯一の反応よりは柔軟性のある行動、更に今まであった複数の選択肢だけでなく、更に新たに選択肢を創り出して行動する、あるいは、新たな選択肢を付け加えるのではなく、これまでと発想の全然違う別の選択肢を創り出して行動する、などが考えられます。 それぞれ「行動」というコトバで表現しましたが、実は、行動の階層(行動、行為、動作)が違っています。

 「行動の変容」といったとき、その対象としている行動の要素としての「行為」(その多くは、生後獲得した言語によるルール支配的な行為)、更にその「行為」の要素としての「動作」(生後身につけたレスポンデント反射やオペラント反射といった条件反射や生得的な無条件反射)のどこに問題があるのかを見極める観察力や分析力と、一方その動作、行為、行動は、それぞれがどのような目的や文脈から生まれてきているのかといった総合的、全体的、文脈的にとらえる目が大切なように思います。

 

 さて、ある国で、最近政権党の不祥事が目につき、格差も広がっています。しかし、選挙では、相変わらず国民の多くが政権党に投票します。 野党が政権党の不備を指摘してもやはり、選挙行動は変わりません。その理由として、政権党以上に野党に対する信頼がないのかもしれません。 群れがどういう方向に移動していても、属している群れの大きさに安心を感じる構成メンバーだっていることでしょう。 属していると思っている(努力しなくても思うことができる、あるいは属していると思いこんでいる)群れが大きいと安心できる人に、その群れの不備を訴えても、耳を傾けないことはままあることでしょう。 

所属欲求は、基本的な欲求だと思います。「血」とか「民族」といった自分の努力なしでも所属感を味わうことができる群に自分は所属していると思っている人にも耳を傾けてもらえるには、語り掛ける側が、もっと大きく深い所属感の中に生きていることが大切なように思っています。