言葉が通じるということ

k1s2013-03-18

<「ことば」は通じているのだろうか?>
 
日常生活の中で、「ことばというものはまるっきり通じていない」と思っているなら、そもそもそういう発言自体をしないですね。「お水を一杯ください。」と言って、水を頂けたら、それで話は一応通じているということになるでしょう。
 
では、
テレビのニュースを見ながら次のような会話がありました。
A「この政策が続いたら、数年後は格差が拡大するだろうね。」
B「そうだろうね。格差がますます広がるだろうよ。」
C「そうかな、僕はそうは思わない。」
D「数年先のことなど、誰にもわからないよ。」
E「カクサってなんですか。」
F「そんな話つまらないわ。テレビを消して出かけようよ。」
という会話があったとして、話は通じているのか、いないのかということです。
 
行動分析学の用語を使えば、「お水を一杯ください」という表現は、マンド(聞き手に特定の行動を要求する言語行動)に分類されます。
 
ところが
A「この政策が続いたら、数年後は格差が拡大するだろうね。」という表現そのものは、自分が思っていることを報告している文章です。言外に「君はどう思う」ということを含めているかもしれません。あるいは省略しているかもしれません。その場合「君はどう思う」がマンドであり、「拡大するだろうね」はそれだけだと、自分が経験したことをただ報告している言語行動(タクト)でしょう。
 
「言葉が通じる」ということを考える時、このマンド・タクトという文類は役に立ちます。
 
A「この政策が続いたら、数年後は格差が拡大するだろうね。君たちはどう思う」
B「そうだろうね。格差がますます広がるだろうよ。」
C「そうかな、僕はそうは思わない。」
 
この場合、「どう思っているのか返事する」ということが、要求されている特定の行動ならば、話は通じているということでしょう。
 
しかし、「これはゆゆしき問題だと捉えて、何か行動を起こすことを表明する」ということが要求されている特定の行動であるなら、話は通じているとは言い難いです。
 
でも、それを言外に含めるのではなく、「B君、君も格差が広がると思うんだね。それで君はどういう行動を起こすつもりなの、考えを聞かせてよ。」とどのような行動を要求しているのかはっきり言ったほうが良いように思っています。
 
振り返ってみると、特定の行動を期待しておきながら(マンド)、それをはっきり表現しないことが多いように思います。はっきり言葉にはしていないけど、文脈から読み取ってよ、という感じですね。
 
あるいは、ただ軽く返事を返してくれるだけでいい、それ以上の深い話はやめておこうよ、というちょっとひねったマンドも、近頃は多いように感じています。