行動療法のテキストを読んでいて

私が取得しようとしている資格の受験資格の要件の中に「行動療法」の単位取得が入っていて、テキストを読んでいます。テキストを読んでいて色々思うことがあります。その思うことなどを書いてみました。
 
○行動療法とは、合わせて心理学とは
  
行動療法の前提となる「行動」について、
私なりの理解では、
行動療法では、まず人間の行動の基礎には、生得的な無条件反射があり、更に
生得的でない刺激が、生得的刺激と同じような刺激となる条件反射、レスポンデント学習によって発生するレスポンデント行動と
同じく、試行錯誤をベースとして、オペラント学習によって発生するオペラント行動
の二層(あるいは生得的な行動を含めて三層)から行動が成立していると捉えている、と思います。
(浅学ゆえ誤解しているかもしれません)
  
心理学の歴史を振り返るとき
フロイトの旗頭として、大きな役割を果たしたと思います。
フロイト心理学では、無意識を、観察できないと言っておきながら、そのうえで研究の対象にしています。
 
その点、行動療法の対象は、観察できる具体的な行動を対象としており、
操作、介入に対しての結果が、明らかに観察されます。
 
臨床において、不安障害とか強迫性障害の改善において、具体的な効果がみられるでしょう。
 
ただ、私には、行動主義の人間観が、機械的な人間観のように思えます。
人間は、外界からの刺激に対して、反応する機械のような存在でしょうか?
人間の行動の原因は、「刺激」「外界からの入力」しかないのでしょうか?
 
目的や、意図を以て、外界に働きかける存在ではないのだろうか?
アリストテレスのいう「目的因」は考慮しないのだろうか?
自己保存や種の保存以外の目的は考えないのだろうか?
その時「自己」「種」を、そして「自己と種の関係」をどうとらえているのだろうか?
 
探索行動、あるいは探究心といったものを、行動主義はどうとらえるのだろう。
 
ベイトソンがいうように、探索行動を行うネズミに対して、罰を与えても、ネズミは探索行動を止めなかった。ゆえに、探索行動は、生得的なモノでしょう。
  
あるいは、学習と行動には階層構造があるでしょう。
その階層は、ボトムアップだけでなく、トップダウンもあるのではないでしょうか?
  
 
具体的実際的な課題解決は、(目的を達成する手段)としての行動の変容だけでなく、目的そのものを変更・変容するというメタレベルの方法もあることでしょう。
 
例えば、日本で、自分の性的志向が、いわゆる一般の常識とは一致しないで悩んでいる人がいるとします。
 
同性愛という性的志向は、誤った学習行動でしょうか?
それとも、同性愛という性的志向は、誤った学習行動であると思うことが、誤った学習なのでしょうか?
 
行動療法を選択している人々は、具体的にはどのように相談者と関わっているのでしょうか?
 
 
      
LGBTの家族と友人をつなぐ会」のHPの中にあった記事です。
http://lgbt-family.or.jp/learning/basic
 4.同性愛者を異性愛者へと変えることは可能か
米国には、精神分析や(学習理論に基づく)行動療法が、同性愛者を異性愛者へと変えるための心理療法として行なわれていた歴史があります。行動療法では、同性の裸の写真をクライエントに見せて、その後に電気ショックや嘔気をもよおす薬物を与えるという、嫌悪療法が用いられていたことがあります。
その同じ米国で、1990年代後半になってから、相次いで、American Psychological Association(米国心理学会)やAmerican Psychiatric Association(米国精神医学会)などの専門家団体が、同性愛を異性愛へ変えようとする心理療法(reparative or conversion therapy)に関して、その効果に対する疑問を呈したり、その有害性を指摘する内容の公式声明文を発表しています
それまでの米国において、世間一般の偏見や心理療法家のなかにある偏った価値観に従って、reparative or conversion therapyが無批判に提供されてきたことへの反省の意が、そこには込められているようです。「心理療法によって、同性愛の性指向を異性愛の性指向へと変えることが可能であることを示す十分な実証的なデータはない」というのが現段階での結論のようです。
さらにそこで強調されていることは、「なぜ同性愛を異性愛へと変えようとするのか」「そこに、心理療法家のホモフォビアが反映されていないか」「クライエントの、内面化されたホモフォビアを助長することにならないか」、そういった諸点について倫理的な吟味をすることなく、reparative or conversion therapyをクライエントに提供してはならないというのが、現在の米国の心理療法家たちの姿勢であるようです。
<reparative or conversion therapy(修復あるいは転換の治療)>


同性愛に関する研究論文・海外というHPには
http://www.ne.jp/asahi/genius/loci/list2.htm
 州レベルの心理学会でも、性的指向転換療法の問題について言及し、クライエントとセラピストの双方に適当なガイドラインを提供し始めているところがある。1991年にはワシントン州心理学会において、性的指向に関する勧告が採択された。その一部を紹介すると
 心理学者は、疾病ではないと既に判断されているものについて、それに対する治療を提供したり認可すべきものではない。同性愛それ自体は全く心理的適応を阻害するすることはないという一貫した科学的実証から鑑みるに、性的指向の転換を求めようと する個人は、内在化された偏見・差別やホモフォビアからそうするのである。故に、我々心理学者の目的とするところは、非寛容な社会を教育し変えることであって、社会の犠牲者である個人を変えることではない。性的指向の転換治療は、そのような治療の存在するそのこと自体が、ホモフォビアをさらに助長し、そのホモフォビアこそ心理学者が立ち向かわねばならぬものなのである。
 
とありました。
 
 
精神分析派に属する岡野憲一郎氏の著書、「新しい精神分析理論」岩崎学術出版社の中に、
カルロ・ストレンガー著「解釈学と科学のはざまで」という本が紹介されていて、
 
(1)精神療法一般についていえば、力動的療法(精神分析)、行動療法、認知的療法のどれも、他に比べて特に優れてはいない。
 
(2)恐怖症や強迫神経症や性的障害などについては、行動療法が明らかに優れている。
 
(3)治療者の態度としては、ロジャースの三主徴(真摯さgenuineness、共感empathy、押しつけがましくない温かさnon-possessive warmth)が、好結果をもたらしているらしい。

と書かれてありました。
 
(2)の、性的障害については、行動療法が明らかに優れている、という記述は、検討しなおす必要があるかもしれません。
  
理論や技法は道具であり、目の前の状況に適した理論や技法を当事者全員で選んでいけばいい、と私は思っています。
髭をそるときには剃刀を、木を切り倒すのは斧で。
ところが、髭も斧で剃ろうとする人もいたりします。(それが専門家だととくに厄介です)
そういう人には、暴露反応妨害法を適用しましょうか?
 
といっても、先ずは人間関係が成立してからの話でしょう。