「動いていないモノ」は動いている 陰陽原理

k1s2013-03-09

「みる」という言葉に続いて、「動く」という言葉から、言葉の働きや、モノゴトの見え方の違いについて考えてみようと思います。
 
今実際住んでいる世界を見渡して、動かないモノの代表として挙げられるのが「大地」でしょう。
大地が動くと、それは「地震」と言われます。地震の原因として、大陸プレートの移動があり、長い目で見れば、大地も動いていることになりますが、ともかく、日常生活の中では、大地はめったに動かないモノです。
 
しかし、太陽系の外から地球を見れば、地球は自転していますし、太陽の周りを公転しています。つまり、地球(大地)は、すごいスピードで動き続けているのです。
 
つまり、時間の測り方や観察する場所によって、動いているのか、動いていないのか、その見え方が違うということです。夜空の星についても同じことが言えます。恒星といわれる星は、今から100年前も、1000年前も夜空の同じ位置に観察されました。しかし、宇宙全体を見れば、すべての星は、地球から遠ざかっているのです。
 
動いていないように見えるモノも、じつは動いている、陰は陽あっての陰、陰は陽あっての陰、中心が陽なら外辺は陰、中心が陰なら外辺は陽、陰極まれば陽となる、陰陽は逆転する、という見方を教わったのは、実は青年期に読んだ桜沢如一氏の著書「無双原理」「宇宙の秩序」が最初です。
 
この本との出会いは衝撃的でした。自分は日本に住んでいて、自分は東洋人と思っていたのですが、考え方は東洋人ではなかった、と感じたからです。
 
動いていないモノは動いている、
こういう見方は、日常生活とどう結びついているでしょうか。
 
満足を得ようとすることが、不満足を産み、
不安から逃れようとすることが、増々不安をかきたてる
ということだと思います。
 
さらに、そこで、満足を得ることを捨てようとすれば(禁欲)、増々満足に執着する、
ということになるでしょう。
 
満足を得ようとすることも、満足を得ることを捨てることも、共に苦しみを産みます。
そこで「身動き」がとれなくなります。
 
過去の歴史を振り返ってみると、身動きが取れなくなること、そしてその自覚の中から「回心」が生まれています。
 
「動きが取れなくなって、やっと動き始めることがある」ということでしょうか。