健常という鈍感さ

諸行無常 諸法無我 すべては流れ変化していく
おそらく この世の出来事・事象は 「一回性」「唯一性」の出来事なのでしょう

           
いえ、「一回性・唯一性」に注目することを「弁別する」と言い
共通性を見出すことを「般化する」というのでしょう

          
世界の側が 全て一回性・唯一性なのか
変わらない普遍、共通性に基づいているのか
それは、私たちの側が 仮説しているのでしょう
私たち人間は、仮説し、物語らないことには、生きていけないのでしょう

            
一回性や唯一性を限りなく追求していくと 
情報が洪水のように溢れ、その処理の為 身動きが取れなくなります
身動きを取るために、自ら閉じたり 捨てたりします

            
狩猟採集生活時代には 生きのびるために
より細かな弁別・情報収集は必須でした
遠くの小さな音を聞き分け それが外敵の発する音なのかそうでないのか
聞き分けないと生きていけませんでした

            
現代文明社会の中にいて
寝こみをライオンに襲われることはなくなったけれど
溢れるほどの情報、情報、情報
自ら閉じないと 捨てないと 疲れてしまいます
モノだけでなく 情報の大量生産大量消費
それがまたモノの大量廃棄につながります

          
一回性、唯一性を見分けることは大切ですが
一回性・唯一性にのみ注目すれば 生きていくのが大変です

 
そこで共通性や冗長性にも注目します
違いはさておき 同じと思われるところで一括りにするのです
そうやって言葉が生まれました

         
言葉は違いを表すための道具であり、
同時に共通性、類似性を示す道具です

          
イヌという言葉は、イヌとイヌ以外の動物を分かつ道具であり
チワワもブルドッグスピッツも一括りにする道具です

          
自閉症Autism」という言葉は、何と何を分かち、何を一括りにしているのでしょう

          
かつては、親の育て方に問題があって発症すると言われていましたが
今は、脳神経細胞の機能障害が原因と言われています
Autoはギリシャ語で「自己」を意味します

          
いわゆる「健常」と言われている人々は
溢れる情報にたいして 自動的に閉じることによって 自らを守っています
一方、情報があふれ出て洪水になっていることに対しては、「鈍感」ともいえるかもしれません