日本全国が救貧院になっても

自らの「労働」の「代価」で生計を立てている人にとって、恐れていることのひとつは、リストラや倒産によって、あるいは災害や自らの疾病によって、職を失う事ではないでしょうか?
     
働きたくても働くことのできない人のために、生活保護制度があり、働く意欲があっても適切な仕事がない人のために失業保険制度、職業訓練などがあるのでしょうが、その制度がうまく働いて安心をもたらしているのかどうか。
    
過度な心配をして、今を生き切れないよりは、「たとえホームレスになってでも生きていくぞ、いきていけるぞ」と居直ってみてはどうだろうと考えました。
     
そう考えたとき、ディケンズチャップリンを思い出しました。かつて、浮浪者取締法という法律があったなあ、救貧院・救貧農場の暮らしは厳しかったそうだなあ、と。
    
更に日本の現在の軽犯罪法を調べてみると
こじきをし、又はこじきをさせた者」は「拘留又は科料に処する」とありました。
     
 だとしても、この先日本全体が救貧院のような状況になろうとも、自ら「光」を見い出せるよう「居直る」ことが大切であるように思いました。
      
人間を照らす光や、自らを照らす光は、実はいつも輝いていると思います。
        
ただ、近代機械文明の人工の光が強すぎて、現代人には見えづらくなっているのでは、と思ったりしました。
       
自ら光を見い出す道、自ら光る道のひとつは、宮沢賢治が農民芸術概論綱要でいうところの「芸術」だと思っています。

農民芸術概論綱要
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html