自然治癒力、自己治癒力、自浄作用、ホメオスタシス、ホメオダイナミクス、自己組織化などという一連の言葉・概念・現象があります。
個体のそれらの力の衰え、アンバランスを、個体の不調、病気といったりします。限界を超えると、死に至るのでしょう。
と同時に、アポトーシス、タナトスという概念に表わされるような流れもあって、個体はもっと大きな存在現象の一部であって、個体はやがて分解します。
個体だけでなく、家族には家族の自然治癒力、地域社会には地域社会の、国には国の、人類には人類の、地球には地球の自然治癒力、自浄作用、エロス・タナトスがあるのだと思います。
そして、
家族も、地域社会も、国も、人類も、地球も、もっと大きな存在現象の一部です。
個体内部のみの作用では回復が難しい時、個体外部からの作用によって回復したりします。
家族内部のみの作用では回復が難しい時、家族外部からの作用によって回復したりします。
地域社会にしても、国にしても、です。
混沌とした全体を(仮に)「一・太極」として表現することができます。
その太極を(仮に)「陰・陽」に分けることができます。
「快」だけを求めること、「幸福」だけを求めること、「光」だけを求めること、
「生」だけをもとめること、「喜び」だけを求めることは、
実はバランスを欠いたものなのでしょう。
「一」 は「一」に非ず。
一個人という表現がありますが、ひとつのからだに、右手と左手と分けることができても、
実は一個人、ひとつのからだ、というのは、仮構であって、父母や大地から生まれてきたのです。父母や大地も然り。
しかし、仮構としての「一」の中に、仮構としてのホメオダイナミクスを観察することもできるでしょう。
要は、あなたはあなた自身があなた自身のアンバランスを自覚した時、あなた自身で修正する方策を身につけているかどうか、自分の中だけでは無理と思った時、自分の外からも受け入れる準備ができているかどうか、自分自身という区切りは仮構であるという自覚があるかどうか。
私の場合、身体的な疲れは、眠り、姿勢調整、呼吸、皮膚刺激で調整します。
心理的な疲れは、今はゲッセマネの庭の祈り、イミタチオ・クリスチ、ゴルゴタの丘の瞑想、複雑系への瞑想、懺悔文、チベット仏教に基づく縁起瞑想で調整します。