放射能革命

20世紀の政治運動や市民運動の中で、「世の中のあり方を変えていくには、人々の意識を変えていくことが必要だ。」という発言をしばしば聞きました。

21世紀になっても、そういう発言は聞かれますが、「人が人に働きかけることによって、意識がそう簡単に変わるものだろうか?」という思いを、20世紀に実際に活動した多くの人は感じたのではないでしょうか。

 「人が環境に働きかけ、環境を変え、その変わった環境から逆に働きかけられ、人の意識が変わっていく。」と、歴史を振り返っては思ったのですが、今まさにそのような意識変革が起こったように思います。

 「高濃度の放射能汚染水を保管する為に、より低い放射能汚染水を海に、意図的に放出」
 
 今回の事故が起きる以前には、とても受けいれられなかったことです。
 それが、みんな「仕方ないなあ」とか「ついに」とかの感じの中で、受け入れた、受け入れざるを得なかった、ことがあれよあれよと進んだ・・・・・自覚のないまますごい意識変革が起こったように思います。

 「ただちに健康に影響を及ぼす数値ではない」と枝野さん達は盛んに繰り返します。
 
 (高濃度の放射能汚染水にしても、海水で薄めると、低濃度汚染水に成ります。ですから、排出総量tにも注目する必要があります。)

 チェルノブイリ事故のその後を思えば、私の中では
 「体内に取り入れられると、3〜4年、あるいは7〜8年後から、主に子供たちに甲状腺癌が多く発症する」「冷却作業に関わって、原発近くにいる人々は、数年後から癌の発症率が高くなる」という文章が続きます。
 
 浴びる線量、取り入れる放射能の量に従って、大人達だって、がんの発症率が増えるでしょう。
 でも、それが放射能せいかそれ以外の原因で起こったのか、証明することはむずかしいとおもうのです。ですので、補償もむずかしいでしょう。
 
 今後、なるべく放射線を浴びない努力、放射能を取りいれない努力と同時に、癌になったとして、癌とともに生きる智慧、死ぬ智慧、苦しみを軽減する智慧が必要とされるのでしょう。