「朝、目覚めてすぐの瞑想法」 講座 NPO熊野みんなの家講座 No.54

朝目覚めたとき、あなたはいつも最初に 何をしているでしょうか?



私は、直ぐには起きださないで、自分の呼吸を観つめます。息を吸っているときには、「吸っている」と心の中で唱え、吐いているときは、「吐いている」と唱えます。息の長さも見ます。日によって、目覚めた時の息の深さが違います。短く浅い時は、「短く浅いな」と心の中で唱えます。そうしていると、努力しなくとも息は自然に深くなります。息とともに、こころもゆったりしてきます。



次には、枕を外し、頸の脱力ストレッチをします。右なら右へ自然に回るところまで捻ります。普通のストレッチなら、そこからさらに筋肉を緊張させて捻ったり、あるいはフーッと一気に息を吐いて脱力したりする(操体法・漸進的筋肉弛緩法)のでしょうが、そうしません。自然に捻った位置での頸の左右の筋肉のかすかな収縮感と伸長感を探します。その位置から、顔を正面にゆっくり戻しながら、筋肉の伸長感も収縮感もない位置を探します(弁別)。ここかなと思う位置で、ほんの少しだけ反対方向へ捻り、伸長感や収縮感が生まれるかどうか確かめます。もし生まれたら、元に戻します。そうやって、筋肉の緊張感(伸長・収縮感)のない位置を探します。頸をリラックスさせるだけで、同時に全身がリラックスしていきます。




この方法だと、要領をつかむと、ごく普通の日常姿勢・動作を、同時にストレッチ・脱力・リラックス運動にすることができます。(坐禅の揺身と同じ要領です。)


朝目覚めたときの心境は、前日の出来事や夢の内容の影響を受けていたりします。目覚めてすぐ起きだすと、その影響を受けたままになったりするのですが、呼吸法とストレッチをすると、心の静けさと集中力が得られます。(止観瞑想の中の止瞑想)




「止・シャマタ」の状態だけで、布団から離れ、日常環境に戻ると、条件反射づけられた習慣行動・喜怒哀楽に戻りがちです。そこで次に、「観」の瞑想を行います。
「苦しみとは、自分の思い通りにならないことを、思い通りにしようとすることをいう」というフレーズに、心の焦点を合わします。例えば、「老いていくこと」「病むこと」「いつか必ず、あるいは思いがけず死ぬということ」「つれあいや子どもの行動」など思い通りになりません。もし、なんらかの苦しみを味わっているとしたら、それは思い通りにならないことを思い通りにしようとしているからでしょう。
そこで、<自分を取り巻く世界が自分の思い通りになることを、幸せの条件や生きがいにしていないか?><そもそも自分の思い通りになることなどあるのか?>と問いかけます。「全てが自分の思い通りになることなんてありえない」ということを今一度確認します。さらに言えば、「この世界の中に、独立した自我がある」と思うことそのものが強力な錯覚でしょう。自我も苦しみも縁起性であることを観じます。




私たちは、目覚めているとき、「独立した自我」が世界の有り様を変えながら一日を生きていると思い込んでいます。自身はそのつもりでも、振り返ってみると、多くの行動が、習慣や環境からの刺激に対する条件づけられた反応・相互作用であったりします。例えば、日本人が日本語を話すということ自体が、自由意思で選んだことではありません。家風などと言うと、現代人にとっては古臭い言葉のようですが、しかし現代日本人も、自覚されないまま、家風(育った家族環境)や地域性や県民性、国民性(業)に制限された行動をしています。制限されているという自覚がないだけです。



ルカ福音書には次のようなフレーズがあります。「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしてるのか知らないのです。」そして自覚のないまま、私たちは苦しみます。「ああ、自分の思い通りにならない」と。あるいは「自分の望んでいないこと(思い通りにならないこと)が起こるのではないだろうか」と不安を抱きます。世界は、自分が望んでいることより、望んでいないことの方が生じることが、圧倒的に多いです。そもそも「独立した自我」は、強力な幻想です。だから、「一切皆苦」「諸法無我



 「一切皆苦」という心境になりきったら、「不安を抱いたままの安心(あんじん)」「善人名をもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」ということに心の焦点を合わします。あるいは「(要素論的)私が私の人生を生きようとするから苦しい。生命(全体)が、私の人生を生きるている。生命が望むように生きるほかない。苦しくとも悲しくとも、どろんこの道でも、何が起ころうとも」という心境になるよう心を合わします。



「すべては、神(全体)の中に宿る(汎在神論)」
「帰命無量寿菩薩 南無不可思議光(正信偈)」
私たちは弱いけど、別に強がらなくてもいいんですよ。
  と、自分に語りかけます。
それから布団をたたんで、一日が始まります。



ということで、次回No54の講座のテーマは
「朝、目覚めてすぐの瞑想法」講座です。



日時 9月16日 月曜 敬老の日 午後2時より 
 場所 NPO熊野みんなの家