モンテーニュとパスカル

k1s2013-03-05

パスカルと言えば、今は気象情報の気圧の単位がミリバールからヘクトパスカルになって、よく耳にしますが、私は、パスカルが書き残したメモの中の言葉「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」という言葉だけが印象に残り、それ以上のことは知らないのに、肯定的なイメージを持ち続けてきました。
 
最近、丸山圭三郎氏の「欲望のウロボロス勁草書房1985を読む中で、
 
<官能、支配、知識欲の三つを、パスカルは「三つの邪欲」と呼んでい>るということを知り、パスカルのことを知りたくなりました。(これこそ知識欲。)そして、どうやらパスカルモンテーニュを批判しながら、いつもモンテーニュの本を持ち歩いていたということを知り、モンテーニュについても知りたくなりました。
 
そこで、例によって、ウィキペディアを読みました。
 
ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ
<(1533年- 1592年)は、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。モラリスト懐疑論者、人文主義者。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた。>
 
<ペリゴール地方の、ボルドーに近いモンテーニュ城でユダヤ系フランス人として生まれた。実家は商業を営み富裕であった。父は政治にも熱心でボルドーの市長を務めたことがある>
 
<フランス宗教戦争(1562-1598年)の時代にあって、モンテーニュ自身はローマ・カトリックの立場であったが、プロテスタントにも人脈を持ち、穏健派として両派の融和に努めた。宗教戦争の狂乱の時代の中で、寛容の精神に立ち、正義を振りかざす者に懐疑の目を向けた。>
 
「シャツを着た以上はシャツを着た人間として振る舞うが、シャツと皮膚とは異なるものだ」
「老衰で死ぬことは、珍しい変わった、異常な死であり、それだけ他の死よりも不自然な死である」
「あなた方は死に方など知らなくとも、少しも心配することはない。自然が、その場で余すところ無く十分に教えてくれるであろう。あなた方のために、正確にその努めを果たしてくれるだろう。そんなことに気を病む必要はない。」

ブレーズ・パスカル
<(1623年- 1662年)は、フランスの哲学者、自然哲学者、神学者、思想家、数学者、物理学者、宗教家である。早熟の天才で、その才能は多分野に及んだ。>
 
<「人間は考える葦である」という有名な一節がある随想録『パンセ』や、パスカルの定理やパスカルの三角形などの発見で知られる>
 
<官能の快感、欲望の満足ということは、すべてこれを悪としてしりぞけ、ついには次のようなことまで決意し実行したという。毎度の食事は、きちんと一定の量をはかって決め、食欲の有無などには関係なく必ずそれだけを食べた。たとえ食欲があっても、絶対にそれ以上は口にせず、また逆に、食欲がなくても、必ずその量だけは食べた。満足させねばならぬのは胃であり、食欲ではない、というのがその理由のようだ。また食欲のみならず、一切眼を愉しませる余計物は不用といい、壁掛けなども撤去したという。さらに彼は常時内側に釘の出たベルトを巻き、すべての心意をひたすら神のことに集中させようとしていた。気のゆるみなどを感じたとき、彼はベルトを肘で突いて、激痛で我に返るようにしたとのことである。死に近くなると、肉親や友人の愛情までも頑なに拒否したという。彼は生涯独身だったが、別の書簡では、結婚は一種の殺人、従って神殺しだとまで言い切っている。妻を愛する夫は、それだけ神を忘れ、神殺しにつながる、ということだったらしい。>
 
ウィキペディアを読んだだけですが、パスカルよりもパスカルに批判されていたモンテーニュの方に魅かれます。そこで、アマゾンで、原二郎訳 筑摩世界文学大系を取り寄せて読むことにしました。
 
ラカンは、「現実とはけっして言語で語り得ないものであるが、同時に人間は現実を言語によって語るしかない」といったそうです。
 
丸山圭三郎氏は、「非在を現前化する力というものこそ、私たちの栄光と悲惨を生み出す源なのです。」(欲望のウロボロス 59頁)と述べています。
 
「生」も「死」も、言葉によって非在を現前化したものなのでしょう。
 
今日は、桜餅を買って帰り、おいしいお茶を飲むことにしよう。ねえ、パスカルさん。