古語「さか」「さかひ」から黄泉比良坂

 坂を歩いていると坂にまつわる話が思い起こされます。古事記に出てくる黄泉比良坂はこの世とあの世の境にある坂です。
 イザナギイザナミは、夫婦で国造りをします。ところがイザナミは、火の神カグツチを産んだとき大やけどを負い亡くなります。(日本書紀では、花のいわや神社に葬られます。) イザナギイザナミに会いに黄泉の国に向かいます。一緒に帰ってほしいと願うと、イザナミは御殿の奥から、黄泉の国の神々に相談してみるが、待っている間決して自分の姿を見ないでほしいと言います。
 しかし、なかなか戻ってこないイザナミに痺れを切らしたイザナギは、櫛の歯に火をつけて暗闇を照らし、イザナミの醜く腐った姿を見てしまいます。怒ったイザナミは鬼女の黄泉醜女に逃げるイザナギを追いかけさせますが、鬼女たちはイザナギが投げた髪飾りや櫛から生まれた葡萄や筍を食べるのに忙しく役に立ちません。
 イザナミは代わりに雷神と鬼の軍団・黄泉軍を送りこみますが、イザナギは黄泉比良坂まで逃げのび、そこにあった桃の木の実を投げて追手を退けます。
 最後にイザナミ自身が追いかけてきましたが、イザナギは千引の岩(動かすのに千人力を必要とするような巨石)を黄泉比良坂に置いて道を塞ぎます。閉ざされたイザナミは怒って、毎日人を1000人殺してやると言い、イザナギは、それなら1500の産屋を建てると返して、黄泉比良坂を後にします。
 古語に「相知る」ということばがあります。愛しあう関係になる、深い契りを結ぶ、情を通じあう、まぐあう、といった意味があります。
 結婚した当初は、お互いのことをできるだけ相知ろうとします。しかし、歳を重ねると、相手の弱点や至らなさ、固さ、自分との相違点も見えてきたりします。
 しばしばそれが喧嘩の種になったりします。私達の弱点は、早々簡単に克服される訳でもありませんし、幼い頃から身につけてきた習慣や信念はなかなか改まりません。
 相手の弱点や至らなさについては、目を当てないこと、見えても見えないふりをすること、指摘しないこと、自分の方絶対正しいと思わないことが、夫婦円満智慧なのかもしれません。
 正義を振りかざすよりも、笑顔を振りまきたいものですね。例え、ほっぺをたたかれようと。