「つながる」とはどういうことだろう

「ひととひとがつながる」「いのちといのちがつながる」という表現があります。つながりのことを「絆」といったりします。つながりの実感がないことを孤独とも言ったりします。古代ギリシャの哲人が「人は社会的動物である」といいましたが、私たちの人生は、他の人々とのつながり、他のいのちとのつながり無しでは考えられません。

 私たちは空気や水や大地、光、食べ物なしでは生きていけません。その食べ物を得るため、分かち合ったり、交換し合ったりします。つながりがあって生きています。

 46億年の地球生命誌の中、幾度かの大量絶滅を経て、人類が約20万年前に現れました。人類は脳が発達し、言葉を使い、そして未来を予測するようになりました。自分自身の未来を予測したとき、やがて必ず自分は「死ぬ」ということを考えるようになりました。

 「死ぬ」ということは、現代人の多くの人にとって、つながりが切れていくことです。逆につながりが切れていくことは、死につながります。そこで、人はともかく人とつながろうとしてきました。 権力や地位、名声、財産を得る努力も、それはつながりを得るための努力でしょう。

 私たちは「つながり」という言葉を使いますが、「つながり」には、「実在・構造としてのつながり」と、「現象・実践としてのつながり」、「認知・実感としてのつながり」の階層があるように思います。

 実在・構造としてのつながりとは、たとえば私たちが生きていくには空気・酸素がいるという原則のことです。 嫌気性細菌・生物の場合は空気はむしろ毒・害になります。
 現象・実践としてのつながりとは、原則に従って実際に呼吸することです。
 認知・実感としてのつながりとは、空気がおいしい、ありがたいと感じることです。普段私たちは空気が存在することは当たり前のこととしてそのありがたさを感じたりしませんが、空気が汚れたり、吸えない状況を体験すると、ありがたさを実感します。
 女性が、新しい命を胎盤を通して、子宮で育てる、というのも、実在・構造としてのつながりでしょう。現象・実践としてのつながりとは、妊娠することであり、母乳を与えること、子育てをすることでしょう。認知・実感としてのつながりとは、胎児がお腹を蹴ったとき、地球生命史の繰り返し(個体発生は系統発生をくりかえす)と感じることかもしれません。

 学校の授業、理科、生物学、生態学などから、私たちはつながりの中で生きていることを学びます。それは、実在・構造としてのつながりを知るということです。
 構造的に、ひととひとがつながっている、ひとと他のいのちがつながっていると知っても、それだけではつながった実感はわいてきません。
 実際に何らかのつながりをもち、さらにつながっていると感じてやっと、つながったといえます。

 構造的につながっており、現象としてもつながっていても、私たち自身がつながっているという感じが持てないときもあります。そういう時は、的外れな努力をしてしまい、そのことで現象的・実際的につながりを切ってしまったりする場合もあります。(環境破壊)

 そもそも、つながっているという実感、つながっていないという実感は、どのようにして生まれるのでしょう。

 つながっていないという実感は、ひとつに「死ぬ」ということを考えることによって生まれると思います。
 食べ物や水をうけつけなくなり、言葉も話せなくなり、やがて呼吸も止まる。つながりがきれる・・・。 (でも、ほんとに死ぬことは、つながりが切れることでしょうか?)

 ひととひとのつながり、ひとと他のいのちとのつながり、絆のことを考えるとき、今一度、自分の死生観を見つめなおすことが大事なように思います。

 赤い色を赤い色と認識するには、赤以外の色が存在して、赤い色と認識することができます。赤一色の世界、赤い色しかない世界では、赤という言葉も存在しないでしょう。
つながりについても、実在・構造としてつながっていて、現象としてもすべてつながっているとき、逆につながっているという実感は生まれないように思います。

 一遍上人の言葉に、「目に見える仏は仏にあらず」という言葉があります。
 私たちが何気なく使っている「つながり」という言葉は、実は「つながり」ではないかもしれません。「実際はすでにつながっている」のに、あらぬつながりをもとめているのかもしれません。
 健康に生きているときには見えてこないつながりがあるのかもしれません。

 

実在的構造的に「つながる」とはどういうことか(ひととひと、ひととほかのいのちは、どのようにつながっているのか)、現象・実際につながり方の作法(構造に添って適切につながるつながり方)、そしてその「つながりの実感」はどのようにしてうまれるのか(そもそも私たち人間は世界をどこまで感じることができるのか)、今一度、丁寧に味わうことが大切なように思います。 地球生命誌・自然観を通して、今一度学んでみましょう。