進化? 花を手向けあうこと

人間個人としての「成長」はいかにしてなされるのだろう。
人類全体としての「成長」は、いかにしてなされるのだろう。
 
「成長」とはそもそもどういうことをさすのか。
最初「進化」あるいは「学習」という言葉を使って考えようとしたが、
「進化」や「学習」という言葉はかえってマイナスイメージが伴うのでやめた。
 
「成長」という言葉を使うと、一生だけというイメージになったりするが
人類の一員として、自分は如何に生きるべきか、ということについて考えてみたい
そのキーワードとして「成長」を選んでみた。
 
生きることなどに意味はない、という声もどこからか聞こえてくるのだけど
その声に耳は傾けても、聞き流すことにした
「意味はない」ということを発言するのは、何らかの意図や意味があってのことだろうから
(あるいは、違う階層からの声だろうから)
 
便宜上肉体と精神を分けるとして、
人間の肉体の成長は、外部からの栄養、情報の供給が必要となる。
(栄養だけでなく、情報と書いたのは、例えば猫の実験で、生まれたての猫を
縦じま模様だけの環境で育てると、横じまを認識できなくなるらしい)
人間は動物で、植物と違って、光合成できないから、自ら動き、必要なものを摂取しなくてはならない。
 
栄養物を食べないと、肉体は、死んでしまうように
精神とて、栄養物や情報を食べないと、成長しないし、死んでしまうのだろうとおもう
 
肉体と精神を便宜上分けて、「精神」という言葉を使ったが
そもそも「精神」というものがわかっていない、「生命」というものがわかっていない
私と環境の関係が良くわかっていない
過程を観てきたわけでないが、痕跡から判断すれば、地球環境は変化し続けているのだろう
地層は入り組んでおり、私たちはかつて生きていた生命の名残である石油や石炭を使っている
 
ある幼子が、お母さんに尋ねたそうだ
「ねえ、電車って生きてるの?」
その幼子は、電車に、生命性を感じたわけだ
いったいどういうことから、その子は、生命性を感じたのだろう
 
今から約6万年前、ネアンデルタール人は、死者に花を手向けたようだ
死者だけでなく、生きているものへも花を手向けたい 
 
私たちは、生きているもの同士として、花を手向けあっているか