慈経

 「慈経」という経の存在を知ったのは、増谷文雄氏の著書によってです。
今から20数年前、結婚したての頃、二人でこの経を読んだりしました。
   
最近インターネットで検索してみると、
慈経―ブッダの「慈しみ」は愛を越える
アルボムッレ・スマナサーラ (著), 日本テーラワーダ仏教協会出版広報部
この本が一般には、読まれているようだ
 
この経が成立した過程を見ると、護呪として、仏陀が弟子に授けたらしい
 
わが身に照らして、さもあらんと思う
 
「知に働けば角が立つ」と夏目漱石は語っているが
個人に対してだけでなく、現在の世の中の状況を見ていると
知が伸びてくれば、批判の気持ちも高まってくる
相手の言っていることの、矛盾や粗、未熟さが見えてくる
そうなると、批判してしまったり、要求が高くなったりする
そのうち、関係に角が立つ
 
又一方で、変わりようのない世の中に対して落ち込んだりしてしまう
 
怒ったり、落ち込んだりといった危機に、この護呪・慈経を思い出すといい
 
時代がどうあれ、あなたのなすべきことは、「慈しみ」であると心に銘ずること
 
では、落ち込んだり、怒ってしまったりするような状況で
修行中で、未熟な私が、どうやって慈しみをもつことができるか
 
ひとつは、ビパッサナ瞑想

ひとつは、阿弥陀様に帰依してしまうこと
到底「私」は、慈しみの心がもてないと感じたなら、
私を阿弥陀様の手足にしてしまうこと
私が慈しむのではなく、阿弥陀様が私を使って慈しむようにすること