たまゆら

友人から、「滝へ行こう」と誘われ、ハイキングのつもりでいってみると、
そこは「たまゆら」撮影会でした。
 
玉響(たまゆら)という言葉は以前から知っていましたが、
彼らのいう「たまゆら」とは、
主にデジカメで風景を撮ると画像に表れるうすくて白いぼんやりとした玉のことです。
 
最近ある人々の間で話題になっているようですが、私は知りませんでした。
そこで、インターネットで、「たまゆら」「デジカメ」で検索してみると、約2700件ヒットしました。
 
そして、私の住んでいる田舎町のギャラリーでも、「たまゆら写真展」を行っていました。
 
ほとんどの人は、その画像を楽しんでいるようですが、
中には、デジカメに映ることで以って
「科学」という言葉の意味内容定義を考えずに、
「科学的態度」や「科学という言葉」を否定している人もいます。
 
有名な人では、かつてホリスティック医学協会の常任理事をしていたT氏がおり、ホームページの中で、
たまゆらは、霊であり、自然の中だけでなく、病院の中でもたくさん撮れる
霊に憑依され、チャクラがふさがり、健康を壊すことがある、と書いていたりします。
 
私のつれあいや子供たちは、「光の具合でそんなに映ったりするのよ」といいます

以前から私は、デジカメには、人間の目には見えない赤外線が映ることを知っていました。
 
それが何かはさておいて、デジカメには、うすくて白い玉が映っています
中には黒い点が目のようについているものや、傘型、釣鐘型のものもあります

私の今の関心は、どういう人々がそれを「たまゆら」といい、
またどういう人々が「それは光の反射よ」というのだろうかということです。
 
ある人々が「たまゆら」と呼んでいるものを「情報」と捉えたとき
その情報の中にある「差異」にも興味があります
 
たまゆら」と呼んでいる人々の中には、それは霊ではなく、「メッセージ」だという人がいます

その情報をあえて「暗号」や「文字」と同等のもの捉えたとき
その暗号や文字を解読するには、何が必要か、ということも面白いです
 
「科学」であろうと、「反科学」であろうと、「非科学」、「超科学」であろうと
自分が何を「公理」「前提」としていて、
どのような「論理」に基づいて判断しているかの「自覚」が大切だと思っています