なにがおきたとしても そこには

○ こころやすらかなときには

同じ小さきもの、よわきもの、まずしいものに不平不満を感じるのは
神に向かって不平不満をいっていることとおなじである
と思います
 
でも、時々、躓いてしまいます
また、立ち上がればいいこと かな
 
 
○ 昨夜の出来事

枕元でなにやらごそごそします
夜遊びしたミーさんが帰ってきたのかなと頭をそっちに向けると
なんと、野兎が横たわっていました
 
ミーより一回り小さいとはいえ、おとなのうさぎです。
それを銜えて、出入りしている窓に飛び上がり、帰ってきたのです
 
この猫、ミーさんは、ひょっとして、飼い主に捨てられたのでしょうか?
夏、蛇を銜えて帰ってきたら、どうしましょう?


○ 問いかける 質問する ということの思考メモ

 心理臨床に関する本を読んでいると、「開いた質問・閉じた質問」という言葉が出てきます。
 相談者の情報を更に聞く為とか、会話をより発展させるためには、開いた質問をとか、問題点を明らかにし、決断を促すには閉じた質問を、とか書かれていたりします。
 
 また、amazonで、「質問」とか「質問の技術」、「質問力」という言葉で検索すると、心理臨床だけでなく、ビジネススキル等の範囲を含めて、色んな本が候補に挙がってきます。
 
 ホームページだと「解決志向セラピー」とか、「NLP」の質問の技術として紹介されていたりします。
 
 以前から、開いた質問、閉じた質問という言葉は知っていても、心理臨床のひとつの技術という認識だったのですが、よく考えると、「如何に質問するか」ということは、思考の方向やひいては、関係の持ち方、人生の方向付けにも関係する、と思いました。
 
 私がそういう思いを持つきっかけになったのは、フォーカシングの本を読み始めたからです。
エンカウンターとかフォーカシングという言葉そのものは、今から約20数年前には出会っています。大阪で、松井洋子さんのセミナーでその言葉を聞きました。その時も、一技法としか印象はありませんでした。
 
 今読んでいるのは、「いのちとこころのカウンセリング」体験的フォーカシング法 エルフィー・ヒンタープフ著 金剛出版 という本です。
 
 この本を読み始めて、今一度 問いかけるということ、質問するということを、考えておきたいと思いました。 
 

「問いかける」ということについて、先ず最初に心に留めておきたいのは、ヴィトゲンシュタインです。
「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」と彼は言いました。つまり、「そもそも語りえないことについて、問いかけても、語りえない」ということを心に留めておきたいと思います。
(つづく)