無始以来の花が咲いている

花が咲いている
蕾が開き、やがて花弁を落とすことになるのだけど
花は花として変わりなく咲いている
 
それを、私は感覚記憶だけにとどめ、他と識別するだけで済ませたり
じっとみつめ、無始以来の、宇宙の歴史を感じ、溶けてしまったりする
 
これまでの人生で、一番至福と感じた時はいつだったか
最高の快楽を感じた時はいつだったか、と考えてみる

具体的な思い出として思い出したりするが
その時と今を別の時と捉えると
今が味気なく
未来に、至福や快楽を求めてしまう
 
確かに、時の流れがあり、ダイナミズムもあるが
分けなければ、ケはハレとなり、ハレはケとなる
平凡の中に 至福と快楽が流れ込む
 
永遠はいたるところに見いだせるのに
私自身が閉じてしまうのだ