黄昏に佇み祈る

時間の一方向性と等量性
 
 楽しい時間は速く過ぎてしまい、退屈な時間は長く感じ
 それでいて、楽しい時間は何度も何度も思い出され、
 退屈な時間の記憶は簡単に消えていく
 
 そういう主観的な時間感覚はあっても
 
 時間というものは一方向にのみ流れ、
 客観時間は誰にとっても等量である、

と、ある時期までは思っていた。
 
今は、客観時間の方が、主観時間の中の一要素だと思っている。

ここは宇宙の果てであり、同時にいつもここから始まる。
 
この感覚を共有するにはどうしたらいいだろう
 
この感覚をプレゼントするにはどうしたらいいだろう
 
黄昏の中にただ佇めばいいのかもしれない
 
祈りつつ