神に祈る 神にたのむ

神に祈る 神にたのむ 

 イエス・キリストによる救いに関しては、あまり関心がありませんでした。
 縁あって教会から毎月送られてくる月報を読んでみても、心はあまり動きませんでした。
 
 そんな私でしたが、K牧師夫妻からは、生のキリスト者の暮らしと祈りを示して頂いたと思っています。
 
 20年くらいは前になるでしょうか、ある時、K牧師は言われました。

「ここに子どもがいて、『私はニンジンが苦手です。明日の給食にニンジンが出ないようにしてください。』とお願いするのは、祈りとはいえません。 『私はニンジンが苦手です。でも明日の給食の献立にニンジンが出ます。神様、私にニンジンを食べる力を与えてください。』とお願いするのが祈りです。」と。
 
 私はたびたびK牧師との会話を思い出します。
 
 私の今目の前には、「ゲッセマネの庭」の絵が架かっています。
 
 イエス・キリストも、ゲッセマネの庭で、「どうかこの杯を私にささないでください。」と述べ、そのあとすぐに、「私の願いではなく、御心がなればよいのです。」と述べられています。
 
 以前は、ある人が怒りの表現をしていると、そのことに対して、私がその人に怒りを感じてしまっていたのですが、ゲッセマネの庭の祈りを知って以来、その人の怒りの奥にある悲しさを感じるようになりました。
 
 教会からの月報に心が動かなかった私でしたが、最近は、眠る前に、「キリストにならいて」イミタチオ・クリスチ 由木康訳 教文館 を読んで、黙想しています。