キリストはどこにいるのか

「キリストはどこにいるか」「小さきもの」をキーワードにして、検索したところ、有島武郎小さき者へ』『生れ出づる悩み』(1918年)の事を書いたHPに至りました。
 
 有島武郎小さき者へ』『生れ出づる悩み』については、名前や題名をこれまで何度も目にしていましたが、有島武郎自身についての略歴や、その作品について詳しく読んだことはありませんでした。

 ウィキペディアには
 < 有島 武郎(ありしま たけお、1878年明治11年)3月4日 - 1923年(大正12年)6月9日)
 東京に旧薩摩藩士で大蔵官僚の有島武の子として生まれる。横浜に移り、4歳から横浜英和学校に通う。

10歳で学習院予備科に入学し、19歳で学習院中等全科を卒業。その後、札幌農学校に入学。教授の新渡戸稲造から「一番好きな学科は何か」と問われ「文学と歴史」と答えたところ失笑を買ったという。内村鑑三や森本厚吉の影響などもあり、1901年にキリスト教に入信する。農業学校卒業後に軍隊生活を送り、その後渡米。ハバフォード大学大学院、さらにハーバード大学で学び、社会主義に傾倒しホイットマンイプセンらの西欧文学、ベルクソンニーチェなどの西洋哲学の影響を受ける。さらにヨーロッパにも渡り、1907年帰国。このころ信仰への疑問を持ち、キリスト教から離れる。

帰国後はふたたび予備見習士官や東北帝国大学農科大学の英語講師として過ごしていたが、弟の生馬を通じて志賀直哉武者小路実篤らと出会い同人誌『白樺』に参加。『かんかん虫』『お末の死』などを発表し、白樺派の中心人物の一人として小説や評論で活躍した。1916年に妻と父を亡くすと、本格的に作家生活に入り、『カインの末裔』『生まれ出づる悩み』『迷路』を書き、1919年には『或る女』を発表した。>

 とあります。


「キリストはどこにいるか」という私の問いは、(客観的な)生物学的、あるいは歴史的、哲学的な問いではなく、(ナラティブとしての)心理学的な問いです。
 
 ある人々は、キリストを信じることによって、この世のさまざまな苦を乗り越えます。
 
 私はこれまで長年、原始仏教チベット仏教、縁起論、を苦しみ解決の拠り所としてきました。「苦しみは、これは苦しみであるという私の認識から生まれる」と。
 
 そういう認識があっても、やっぱり自分の思い通りにならないことは苦しいです。
 
 ゲッセマネの庭で、キリストは述べます。「私に苦杯を差し出さないでください。」と。一旦はそう述べ、そのうえで「私の想いのとおりにではなく、御心のままになさってください」とのべます。
 
 仏教を拠り所としていた時には、自分の思う通りにならない場面で、心が騒ぎ立ち、その騒ぎ立ったということ自体が自己批判を生み、また次の心の騒ぎを生み出していました。
 
 ゲッセマネの祈りを知ってからは、一旦心が騒いだとしても、それを観る余裕が生まれました。
      
 そして、いつか未来において、救われるのではなく、自分が受容した瞬間、苦しみの場のそこが救いになるという感覚があり、それはゴルゴタの丘の「汝は今日、われとともに王国に至る」という言葉に通じます。キリストの隣の十字架に架けられた盗賊は、復活を見ずして、イエスを信じ、そして十字架上で、王国に至るのです。
    
 また、その後は、日常の中で接する「ちいさきもの」「小さくされたもの」の中にキリストを見出そうとします。
    
 「キリストはどこにいるのか?」「小さき者の中に」それが私自身の答えです。
 「キリストを信じない小さきものの中にも」というのが、私の答えです。
 
 と同時に、人間に神の愛や仏陀の愛を求めても、それは求め得ないことと思っています。