うかうか

「うかうか」暮らしていると、刺激に対する反応だけで生きてしまいます。
 
「自分の好きなことをして生きている」「忙しくあれこれしている」と本人は思っていても、実は、うかうかした暮らしであったりします。本人が自分の「うかうか」に気づいていないということ自体が、うかうかした暮らしです。

うかうか、うっかり、うかつ

 では、何に気付いていないとうかうかした暮らしか
 
 「自分の呼吸の様子」
 「名前と名付けられたものは同じでないということ」
 「我々の見ている世界は、情報と選択と編集を経た後の世界であるということ」
 
 つまりは、生きることに意味は、われわれ自身が加わって作りだしていたりしているということ



 今日は久しぶりの晴れの日で、自分自身と、子どもたちがため込んであった洗濯物を、仕事の合間に洗濯しました。全自動洗濯機が洗ってくれるのですが、最大量51Lで4回洗濯しました。
 
 今日の洗濯は楽しいです。
 
 先ず日差しを肌に感じることができます。風も感じます。
 
 幼い頃の洗濯のすすぎを思い出しました。
 母の手に引かれて、セギというところまで行きました。おそらく「堰」がなまったのでしょう。上水道の取水口があって、そこが石垣と厚い板でできた堰になっていました。
 その堰の下手で、洗濯物をすすぎます。
 
 板を越えて、澄んだ透明の水が滝のように流れます。
 その向こうには、渦ができたりきえたりします。
 ムカシヤマトトンボやオニヤンマが飛び、カワハゼ、鮒、はやなどが泳いでいました。
 笹舟を作って流したり、川の底の石垣の間に手を入れて魚を捕まえたりしました。