武蔵野夫人

溝口健二監督「武蔵野夫人」1951年製作 を見ました。
 
1950年に発表され、ベストセラーとなった大岡昇平の小説「武蔵野夫人」を映画化したものです。(小説を映画化した多くの作品が、原作とは別の作品と捉えた方がいいように、この映画も、小説とは別の作品と捉えた方がいいようです。)

映画も小説も有名なので、これまでたくさんの書評、映画評が書かれたことでしょう。しかし、発表から60年もたてば名作であっても、若い世代の人には、あまり馴染みのない、一時代も二時代も前の作品なのではないでしょうか。私にとっても、父の世代の映画です。出演している田中絹代という女優の名は知ってはいても、顔を思い浮かべることはできませんでした。

この映画を見ようと思ったきっかけは、一つは、森雅之が出演しているということです。森雅之の父は、一時期キリストの信仰者であり、自殺した小説家の有島武郎です。有島武郎の事を調べていて、森雅之を知り、森雅之をアマゾンで検索していて、「武蔵野夫人」を知りました。フランス風恋愛心理映画ということにはさほど関心はなく、戦後の新しい恋愛観とそれ以前の恋愛観の相克を描いていると言った簡単な案内をみて、観ようと思いました。
というのは、私の父母は、戦後に恋愛結婚しました。1945〜1949年の結婚構成比では、恋愛結婚は、21.4%です。そんな時代に、そのような恋愛結婚をした夫婦だったのに、私が物心ついた頃には、喧嘩の絶えない夫婦でした。好きあって結婚した二人なのにどうしてだろう、と思い続けてきました。それには個人の資質に加えて、二人の生い立ちが影響しているとは思ってきましたが、時代の背景までは思い至りませんでした。
父母にしても、新しい時代の新しい夫婦生活を始めたものの、如何にして人生や家族を組み立てていくか、モデルや規範が持てなくて、日常の具体的な問題に面したときどう対処していいのか二人とも戸惑ってしまい、かといって地域社会からの助言は得られず、それが喧嘩の原因の一つになったのではないかと思うようになりました。

 内容は、実際見てください。いまは廉価なDVDが出ています。
 
 内容とは別に収穫だったのは、戦後当時の武蔵野の風景が随所に見られることです。
 スクーリングの時に、武蔵境駅で降り、大学までのバスから見える風景に、今住んでいる熊野という風土に思い入れのある私は、東京(私にとっては山手線周辺)とは違う何かを感じました。今では、武蔵野を東京の一部と捉えている人が多いかもしれませんが、私にとっては、武蔵野は武蔵野で、東京とは違うと感じました。
 バスから見える境浄水場も印象的な場所です。桜橋とか柳橋とかいう名のバス停がありましたが、今バスが走っている道路は、かつては川だったのでしょう。
 
 映画を見ての感想ですが、ごく当たり前の話でしょうが、人間の一つ一つの行動には、その人独自の世界観・倫理観・規範がもとになっているということ、それでいて同時に、あまりにも当たり前すぎて気づくことの難しい、その生きている時代の制約も受けているということでした。
 
 家族関係論を本大学で学びました。例えば、「家族」「恋愛」「子ども」「学校」「教育」という言葉は、時代を越えて普遍的な意味を持っているのではなく、その時代時代で、概念内容が変化しているということを学びました。
 
 父母の世代も、そして現代の若い世代の人々も、私自身も、「かくあるべしという普遍的なモデル」が持てなくて、そして同時に、「かくあるべしという個人的なモデル」に縛られて、他の人の個人的モデルと対立し、苦しんできた、苦しんでいるように思いました。
 その苦しみの解決には、普遍的なモデルを確立し、それによって個人の行動を律するというやり方ではなく、ひとりひとりのモデルは違うのが当たり前であって、その違いを認めたうえで、どう調和していくのかというメタモデル(寛容モデル)が必要なのでは、と私個人は思っています。