熊野の寅さんファンによる合作脚本 後姿の寅次郎 熊野夢日記 「恋もすべて毒なのよ。」

シーン西村記念館にて 。修理保存工事が完了し記念式典が行われる。 先生と学生
ステージでは周美さんが「われに益あり」を歌っている。

 

先生「コトバはとても複雑な記号ですが、記号には、コトバ以外にも色々あります。音、映像、香り、動作、自然物
 ここで、記号を、コトバで定義しておきましょう。<それ自身とは別の何かを表するもの>それが記号です。

 

 さて、私たちは今西村記念館の中にいるのですが、この家そのものも、別の何かを表せばコトバであり、記号と言えます。
 君たちの中で、持ち家がある人はいますか? 家を設計したことがありますか? 学生ですから、両親や祖父母の持ち家であって、自身の持ち家がある人は、めったにないと思います。それに、自宅から通っていない人は、賃貸マンションに住んでいることでしょう。

 

 だから、おそらく、間取りを考えたり、家の屋根の修理とか壁のペンキ塗りについて考えたり、実際行った人もまずいないでしょうね。でも、家も私たちのからだと同じように、生きているといえます。
 家を単に、寝泊まりするところとするか、あるいは、拠点とするか、自分と一体化したものとするかは、それぞれの記号解釈によります。 家と言っても、アパートと持ち家では、住む人の意識も変わります。
 家は、その人の夢の表現なんです。そして、同時にゆるぎない現実です。

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シーン 不耕遊民 衣食住 結婚 難民 色川にて

 

寅さん「俺は、恋愛をしても、結婚しない、なんて偉そうなこと言ったけどね、実は結婚できない、が本音だね。衣食住ということばがあるだろ、みて通り、俺はいつも一張羅を着てる着た切り雀。(第29作寅次郎あじさいの恋)


 食については、人糞製造機なんて言葉があるけど、糞は垂れても、田んぼを耕したことはない。住については、東京、柴又に「とらや」があるけど、寝泊まりするだけさ。
 屋根の吹き替え、壁の塗り替えとかしたこともないし、お金を払ったことも、固定資産税を払ったこともない。

     

 結婚をするとだね、愛の巣、家がいるだろう。欲しいだろう。最初は小さなアパートでもいい。そのうち子どもが生まれる。手狭になる。持ち家が欲しくなる。妹のさくらをみていれば、よくわかる。ピアノが欲しくても、小さな家では置ける場所がない。(第11作 寅次郎忘れな草 マドンナ浅丘ルリ子


 若くて元気なうちはいいが、歳を取れば、家も一緒に歳を取る。さっき言ったように、家というのは、手入れが必要だ。アパートで暮らしていると、ぴんと来ないけどね。屋根をふき替えたり、壁を塗り替えたり。
 

風の吹くまま、気の向くまま、なんて言ってるけど、ひとりだから言えるのさ。これが、女房子どもを連れたまま風に吹かれると、難民だな。


 家にだって、誕生日があり、どんなに手入れしても、お葬式の日がやって来る。つまり、解体さ。これが結構、お金がかかる。子どもが後を継いで、子どもに任せればいいのだけど、時代がどうなっているかわからない。安朗君の親族が、跡継ぎのことを考えるのは、結婚して家や財産を持つ者にとっては、普通のことだよ。
    
 難民と言えば、最近は、たとえ持ち家があっても難民のような暮らしの人が増えているよ。歳を取って、年金だけでは屋根の修理や壁の塗り替えは難しくなるし、介護施設に入ることだって難しい。子どもには頼れない、そんな難民がね。

 (那智勝浦町の人口約16000人、独居老人は、約2000人)

 

 夕子さんたちを見てごらんよ。田んぼを耕し、草を取るだけでなく、今日は隣の納屋の屋根のペンキ塗りをしているだろ。 農業じゃなく、百姓なんだね。ここの暮らは。 

 そして、俺はやっぱり不耕遊民さ。 結婚できない。

 


シーン 自然食レストラン 先生と寅さんと智恵子 記号と食事

 

寅さん「先生、さっき難しいこと言っていたね。
言葉は記号であるが、記号とは言葉だけではない。それが別の何かを表せば、記号であると。そこで思いついたんだ、衣食住の食、ご飯を食べるということも記号だね。

 

 昔は、デートと言えば、映画を見に行って、そのあとは食事ってことが多かったね。
一緒に食事をすればね、言葉以上にその人のことを感じたり、見えたりするんだね。
どの店を選ぶか、何を注文するか、どんな食べ方をするか。
懐具合、趣味、育ち、性格なんかもわかっちまう。

 

 店に入ってさ、『何にするかあなたが選んで』と男に任せている女がいるだろ。あれ、主導権を男に預けているようで、実は女が握っているんだね。

 高級レストランへ行けば、相手のマナーから育ちがわかるだろ、同じように、大衆食堂へ行って、魚の煮つけを頼んでも育ちが感じられるね。骨が一杯の食べづらい魚がいいね。

 高級レストランであれ、大衆食堂であれ、ゆっくりよく噛んで、味わっているかどうかで、性格も感じられるな。

 

先生 「性格だけでなく、世界観だって表していますよ。
    <食うために生きるのか、生きるためにたべるのか?>ということばがありますが、ただお腹を満たすだけ、とか満腹感が欲しくて、とか完食するために食べる人がいるんだね。歯も、感覚器官のひとつ、これは私の持論でしてね。舌だけでなく、歯で味わっている。

 歯で味わっていない人は、食べるということが、何かのための手段、過程でしかない。食事以外もそんな風に生きている。」

 

寅さん「楽しいデートの食事が、相手の探り合いということになりゃ、なんか気まずいね。」

先生 「デートはそもそも、相手との探り合いでしょ。この人とやっていけるかなって。それをいかに楽しく過ごせるかも、試されている。一時的な感情に流されてはいけない。
 坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ってことばがあるでしょ。
夫婦関係が悪いと、相手の作る料理もまずくなって、食べたくなくなるんですよね。」

 

寅さん「それ、先生の体験談かい?」

智恵子「寅次郎さん、違うわよ。先生の奥さんと私は、病院で同室だったの。
    料理は、ほとんど先生が作ったのよね。」

先生 「僕は初婚でね。相手は、同じ大学職場の先輩。再婚でさ。さっきいたやんちゃな学生、なちさんが彼女の娘。」

智恵子「子連れ狼ではなく、子連れ先生って、有名だったのよ。」           (春風のごと頬撫ぜて旅立ちぬ)

 

合作脚本づくりに参加したい人は、NPO熊野みんなの家にご連絡ください。

0735-30-4560