人生の課題解決につながる性格理論、人間モデルを2

 心理学的な知識がなくとも、「人間も動物も、行動を起こさせるのは、報酬と罰よ」と思っている人は多いように思います。日常の子育てや部下を育てるのに、叱ったり賞賛したりということは多々あります。
 
 果たしてそれが本当に効果があったのかどうか確かめることなく、報酬と罰を繰り返す人もいます。
 罰を与えて、その時は動いても、次にはなかなか自律的に動こうとはせず、さらに大きな罰を加え、増々与えられた方は動く気がしなくなる、そして更に罰が大きくなる、といった悪循環に陥っている例もあります。
 そして、罰を与えている人にしてみれば、「罰を与えないと動かない」という信念がその通りに証明されているので、そこから抜け出さなかったりします。
 
 近代以後、人間モデルとして、人や動物は本来怠け者であり、何か不快なことが生じてそれが動因とならない限り自ら進んで動かない、だから、動かすには報酬と罰が必要だというモデルがあり、一方、人や動物は本来活動的で、創造的に活動することが快感であり、その快感を求めて自ら活動するという人間モデルがあります。

 20世紀初頭の、科学的管理法の時代の人間モデルは、人間は、自己の利益を最大にしたいという動機づけで行動するというモデルでした。
 「X理論」では、「人間は生まれながら仕事が嫌いで、できることなら仕事はしたくないと思っている」と考えていました。
 
 ところがのちの時代に、「報酬は意欲を下げる」という心理学実験(デシDeci 2000)の報告もあったりします。
 
 環境と人間を切り離し、要素としての人間だけに注目する人間モデルがあったり、環境も視野に入れるが、環境も人間に対立し影響を与える要素として考えるモデルがあったり、人間と環境は切り離せないとする相互関係論的、システム論的モデルもあります。
 
 いまでは、時代の変化や学究の深化とともに、人間モデルも変化し、マズローやアージリスの階層モデル、アルダーファのERG理論やシェインの「経済人」「社会人」「自己実現人」を総合化したメタ人間モデル「複雑人」モデルもあります。
 
 理論とか仮説とかモデルは、道具であり、その場に適切な道具を使えばいいと思います。木を切るときには、鉈とか鋸を、紙を切るときにはカッターナイフを、逆に言えば、紙を切るのに鋸はふさわしくありません、とある本には書いていました。

私が今採用しているモデルは、「人間は広い広い宇宙の一部ではあるけれど、全体が反映されている」というモデルです。臨界期についても、実験結果や統計結果よりもっと柔軟であると思っています。