○○君 新しい人生のスタート おめでとうございます
私は、教会に通ってはいませんが、常日頃、十字架に込められた色々な意味を考え、感じたりしています。
例えば、時の流れということです。
普通私達は時の流れというと、過去から未来へと、川の流れのように、横方向に一方向にのみ流れているとおもいがちですが、同時に、縦方向に一瞬一瞬永遠の光が差し込むような流れがあることを思っています。
<< 受難週の金曜日、エルサレム郊外の丘に、3本の十字架が立てられました。主イエスと共に、2人の犯罪人が十字架につけられたのです。
犯罪人のひとりは、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と主イエスに言いました。
しかしもうひとりの犯罪人は、彼をたしなめてこう言いました。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして彼は、主イエスに向かって言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
その時主イエスは、驚くべき福音を彼に語られました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」>>
このように、横の流れだけでなく、縦の流れ、永遠の時の流れがいつも注いでいると思っています。
この罪人のように、例え、それが十字架の上であっても。
○○君が長年続けている俳句は、この縦の流れ、永遠の光を見出す文学であると思います。
ゲッセマネの丘で、イエスキリストは祈りました。
<< 「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」>>
人生には、自分の思うようにならないことが色々待ち受けています。確かに苦杯は飲みたくないのが人間の真情です。横に流れる時の流れだけをみつめ、過去に原因を求め、その過去にこだわったりします。
しかし、じっくりと思い考え、御心がなされるように、自分も永遠の今(縦)と未来に向かって生きる(横)のが、十字架を背負うキリスト者だと思っています。