私にとっての仏教とイエス・キリスト

「仏教」の実践面は、仏教用語である「六波羅蜜」に要約することができます。
 
 「六波羅蜜」とは、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧といわれます。
 
 第一番目の「布施」とは、日本人が日常に使うお布施とは違い、奉仕とか捨身、我が身を差し出すことです。 そして布施は「三輪清浄」でなくてはならないといわれています。

三輪清浄とは、他人に対する奉仕において施者と受者と施物の三者が空で清らかでなければならないとする仏教の教えです。 簡単にいえば、一切の思惑や見返りを考えない布施です。 「純粋贈与」といってもいいかもしれません。

 私にとって、イエス・キリストの教えの実践もまた、純粋贈与です。
 
 「汝の隣人を愛せよ」
 
 仏教では、ジャータカ物語の「捨身飼虎」にあるように、飢えた虎の母子に、前世の仏陀は身を捧げました。
 イエス・キリストでは、「左の頬を打たれれば、右も差しだしなさい。」「汝の敵を愛しなさい。」と語り、ゲッセマネで祈り、ゴルゴタで十字架にかけられました。
 
 聖書にあるように
 イエス・キリストは、「苦杯を差し出さないでください」と述べ、また「エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ」と述べました。それから、苦杯を受け、霊をゆだねました。
 
 仏教のみを拠り所としていた頃、私はやはり高みに登りたいという気持ちがありました。
 
 自分の弱さ、小ささ、貧しさを自覚することによって、言葉が聞こえてきました。
 
 小さきままでも、手を繋ぎ、空を飛べることを知りました。
 
 弱さ、小ささ、貧しさを知ってからのほうが、より受け入れることができるようになり、寄り添えるようになったと思います。