理不尽 不条理 救い

三重県南牟婁郡紀宝町に、ミュージックカフェ・フォークスというお店があります。
 
HP http://www.ztv.ne.jp/web/folks/index.html には、こう案内しています。

< ミュージックカフェ・フォークスは紀南地方(新宮、熊野、紀宝町近辺)で初の音楽カフェです。B.J.P.(before J-POP)な日本のフォーク、ニューミュージックからロックはじめいろんな音楽を昼は「聞いてくつろげる」、夜は「演奏して盛り上がれる」カフェにしたいと思っています。
音楽好きなあなたのお越しをお待ちしています。 >
 
 私は、年に二回ほど、ここのステージに立つ機会があります。今年は、来る6月25日です。
 
新鮮新曲コンサート第4回で、当日は自作の未発表の曲を歌うと云う条件です。

ところが、この日のために用意していた歌を、6月5日 「CD文庫「大逆事件100年」完成記念・二人会ライブ」の時の交流会で歌ってしまったので、急遽新作しました。

 以下が、当日歌う予定の曲です。

大逆事件100年 大石誠之助を思う
「懐かしの庭 ゲッセマネ」 



小学校に入ったばかりの女の子が 牧師さんに尋ねました
「お祈りってどのように するのですか? 教えてください。」 (牧師さんは答えました。)
「確か君はニンジンが 大嫌いだったね。 明日の給食にニンジンが出ないように と
お願い するのは お祈りでは ありません。
嫌いなニンジンを 食べることができますように 
私に力を与えてくださいと お願い するのが 御祈りなのですよ。」
次の日女の子は お祈りをして ニンジンを食べました
するとニンジンは いままでとは違う 味がしました
 

私達大人も 色んなところで ニンジンが出ないようにとお願いします
私に苦しみの杯を 差し出さないようにしてください 私に喜びを 与えてください と
でも世界に大きな悲しみが降りかかっている時私達は私達の嘆きを味わう他ないでしょう
例え、世界がどん底の時代であっても私が私の苦しみを受け入れる時
小さきままで、弱きままで、貧しきままで そこが永遠の場所
隣にいる人と語り、歌い、 手を繋ぐ時 そこが始まりの場所       


中学校に入ったばかりの 男の子が お坊さんに尋ねました。
「色即是空という言葉の 意味を 教えて ください」
(お坊さんは言いました。)
「空にかかった虹を見てご覧 確かに見えるだろ。
はっきりと見えてはいても、存在しているわけじゃない。
苦しみも悩みも確かにあるけれど 虹のように現れては消えていくもの。」
例え目の前に死が迫っているときも 私が私の苦しみを受け入れる時
小さきままで、弱きままで、貧しきままで そこが永遠の場所
例え今人生がどん底の時であったとしても
隣にいる人と語り、歌い、手を繋ぐ時、そこが始まりの場所

エリーエリー ラマ サバクタニ エリーエリー ラマ サバクタニ
あなたの嘆きを私にも あなたの悲しみを私にも
我借所造諸悪業皆由無始貪瞋癡
あなたの嘆きを私にも あなたの悲しみを私にも



この世に、理不尽なこと、不条理なことが無いに越したことはありません。
目の前の理不尽、不条理に対して解決の努力は大切です。
しかし、今までも、これからも理不尽も不条理も全然無い世界になるとは思えません。
理不尽な出来事や不条理な出来事が起こらないことが「救い」なのではなく
理不尽や不条理な出来事の中で、それを乗り越えていく力と智慧を得ることが「救い」なのだと思っています。