遺伝子レベル、教育レベル、自己教育レベル コケコッコーをきっかけとして

 現在の日本の小学生に、「ニワトリは、なんて鳴いている?」と尋ねると、おそらく全員が「コケコッコー」と答えるでしょう。同じ質問を、明治時代の初め頃にすれば、カケコー、ケッコー、カケー等、地方によって色々。明治後期の教科書に、コケコッコーと書かれてから、コケコッコーが一般的になりました。
 
 現在でも、外国人が、日本で鶏の声を聴けば、母語で表現するでしょう。
 Cock-a-doodle-doo Qui qui riqui Tick talaok
 実際にこの世界で起きていることを、捉え、それを表現し伝えていくとき、三つのレベルに分けることができます。
 一つ目は、遺伝子・無条件反射レベル。日本人であれ、ドイツ人であれ、感覚器官と伝達神経に生じる電気信号は、同じだと思います。
 それを大脳で処理するとき、「教育」「条件反射」が加わります。ここで、信号が、コケコッコーになったり、Tick talaok になったりします。(二つ目のレベル)。この条件反射の縛りが如何にきついかは、外国語を学ぶときに感じます。
 
 瞑想や芸術によって、遺伝子レベルに戻ることも可能かもしれませんが、世俗で生きるには不便です。
 
 三つ目のレベルは、自己教育。推論。アブダクション。コケコッコーが、色んな聞こえ方のひとつ、と自覚したうえで使い、縛られないこと。
 学校・公教育の歴史をたどれば、学校の主たる目的は、その国・世俗に有用な人材を作ることにあるので、二つ目のレベルで留まることが多いです。だから、三つめは自己教育といいます。
 これは、コケコッコーだけの話ではなく、例えばウイルスについても、言えます。その他もろもろ。
鳥の画像のようです
 
 
 
 
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