諸法非我 諸行非常

意図して、諸法「非」我、と書きました。
 釈尊が説いたのは、「一切は、縁起する」ということだから、無我より非我だと思います。諸行無常も、諸行「非」常。
 おそらく、ヒトは皆、「死」を迎えるでしょう。その「死」の内容は、その人の「縁」に依るでしょう。
 例えば、肉体・遺伝子という縁。更に、生まれてからの条件反射、教育された価値観・思想・知識という縁。
 瞑想者は、更に、「創造性」という縁を加えます。フェルデンクライスは、それを「自己教育」といい、パースは、「アブダクション」といい、古代ヘブライ人は、全体論といい、フロムは、To beといい、一茶は「ちうくらい」といい、道元は只管打座といいました。普通に言えば、「学問」、問うことを学ぶ。
 一緒に踊りましょ。にゃ~。
猫のイラストのようです