新たな行動は、遊びと新たなプログラムから、うまれる。フィードフォワード

 20歳代のときに、定置網の漁師をしていました。仕事のひとつが、網の修理でした。沖で、網を引き揚げていて、破れが見つかった時、波に揺れながら、不自然な格好で、修理する必要があります。陸で、練習をしました。漁師の体験は初めてだったので、からだの中に、行動のプログラムがありません。掌の皮が擦り剝け、治る前にまた擦り剝けるので、カルデラ状の傷になりました。
 現在のピアノレッスンと同じで、自分の動作を、より細かく具体的に、ことば・声にしながら行動の手順を覚えると、プログラムの作成が進みます。定法があるようで、教えてくれる人によって内容が違ったりします。これも、ピアノレッスンと同じです。
 同じような破れであっても、状況によって、繕い方を変えることも必要。つまり、解決の選択肢が沢山ある方が、対応できます。
 課題解決の方法を、二つ以上身につけることを「学習」というようです。
 ある前提に基づく選択肢の集まりがあって、前提が違えば、違う選択肢の集まりができます。ある選択肢群に対して、別の選択肢群を身につけることを、メタ学習というのでしょう。今は詳しく述べませんが、ベイトソンが参考になります。
 コロナ禍という課題に対しても、選択肢と選択肢群は多い方がいいと思います。