初心俳句会 新しい朝 環境の制限と永遠の光

「孟母(もうぼ)三遷(さんせん)の教え」という中国の故事があります。

孟子が幼い頃、はじめは墓場のそばに住んでいました。孟子が葬式のまねばかりしているので、母は、ここは今あの子が住むにはふさわしくないと考え、別のところへ引っ越しました。次に住んだのは市場近く。ところが今度は孟子が、商人の駆け引きをまねるので、ここも今は相応しくないとまた引っ越しました。そこは、学校のそばでした。すると礼儀作法をまねるようになったので、これこそ教育に最適の場所だとして定住したという故事。
 
私達の行動の選択において、環境の影響は大きいです。
心理学の用語を使えば、先行刺激は環境の側にあるのですから、当然ですし、認知を加味して考えても、代理強化のモデルは環境の中にあります。
 
これは、幼くて成長期の孟子だけに言えることではなく、私たち一人一人、あらゆる世代についてもいえることです。
 
異世代と接することの少ない生活環境は、同世代のものの見方感じ方、課題などに、意識が向きがちになり、自覚のないまま物事の捉え方が狭くなってしまったりします。
 
私は三人の子供を育てましたが、長いこと幼子を抱っこしたことがありません。
 
昨夜は、夢の中で幼子とともにいました。
 
「幼子を抱っこする」そのことを通して、どんなに世界が広がっているか。
 
でも、子育て真っ最中の時は、慌ただしくて、
気付かなかったりします。
 
「幼子」でなくとも、「異世代の人々と触れ合う」ということは、世界が広がります。
そして、どう生きても同時に一方では狭くならざるを得ないように思います。
 
極論を言えば、一日中病床の中にいても、
一日中世界を飛行機で飛び回っても
一日は24時間です。
 
豪邸に住もうとも、橋の下に住もうとも、
一日に吸う空気の量はほぼ同じでしょう
 
そんな中で世界を広く深く感じるには「丁寧に触れる」ということが大切です。
 
これまで何度も書いてきたように
限られた緯糸の現実に、差し込む経糸の永遠の光
未熟なままの永遠
 
一日に吸う空気の量はほぼ同じといいましたが
肺胞までに届く量は、呼吸法で全然違ってきます
 
「若い人」が詠う俳句は、やはりあらゆる意味で「若い」ことでしょう。
 
「未熟」と思うこともあるでしょうが、それでも丁寧に触れて「未熟」の美味しさを味わいましょう
 
「丁重にこれから薫る朝の桃」