初心俳句会 武蔵野で立秋を迎えました

k1s2012-08-10

行動と認知
「言葉・名前」は、「それそのもの」を言い表すことが出来ない。
「言葉・名前」は、「それそのもの」が属する「クラス」につけられた名札だ。
 
「トマト美味しいね」という時、
それは、トマト一般を言っているときもあれば、
今朝、自宅の庭で完熟したものを収穫してきて、今食べているトマトを言っているときもある。だから『このトマト美味しいね』といったりする。
 
「果物は好きですが、野菜はあまり好きではありません。」
という時、トマトはどちらに入るのでしょう。
「野菜」という「言葉・名前」は、キャベツ、ピーマン、キュウリ、トマトなどが属する(メタ)「クラス」につけられた名札です。
 
認知行動療法」という言い方、「言葉・名前」がありますが、私には、クラスのレベルが違う言葉を並べているような印象があります。例えて言うなら「トマト野菜料理」
 
行動は、よりエピソード的で、認知はセマンテックなように思うのです。
 
例えば、ある認知が変容する時、その認知内容は変ですよ、と指摘されて変容することはめったになく、ある状況があって、その状況を変えよう、(あるいは維持しよう)として、変えるため(維持するため)に、どうすればいいのか予測を行って、予測と目的の為にある行動を選択して、予測通りにならなかったりして、その時にやっと認知が変わるのではないでしょうか?
 
「無意識は観察できない」とは思っていましたが
「認知」もまた、具体的な(外顕的・思考的)行動になって、観察できるのではないでしょうか?
 
かくいう私は、具体的な行動よりも、心とか、認知という「言葉・名前」を使用して考えるのが好きでした。
 
先ほど、東京のスクーリングから帰ってきました。
 
先々日は、せっかく武蔵野へ行ったのだからと思い、大学からの帰りはバスを利用せず徒歩で帰りました。
 
玉川の名残と武蔵野の名残を味わってきました。
写真は、住宅地の中にある公園です。
  
「初秋旅家の枕がみえてきた」