不安を抱いたままの安心 遊

 大人は、自分がいつか必ず死ぬということを「知って」います。ゆえに、死ぬ日を先延ばしにしようと、あらゆる努力をします。死なないために、食べます。風邪をひかないために、服を着たり、雨風を避け、眠ることのできる家を手に入れようとします。自給自足で、全てを賄うことはできないので、働きます。働いて、生きるに必要なモノを手に入れるためのお金を稼ぎます。そのお金を稼ぐための技術や知識を身につけようとします。
 そこで様々な計画を立て、予定を立てます。今日、死ぬ日の先延ばしに成功しても、やがて必ず死ぬことには変わりありません。

 そこである人々は、肉体は滅んでも、魂は転生する、天国に召されるという物語を生きることを選択します。それでもやはり、いつか死ぬことは変わりません。

 世の中で成功する能力のある人であっても、修道院へ籠る生活をするのは、ひとつは世間でどのように成功しようとも必ずやってくる「死の問題」を乗り越えるためでしょう。

 その世間では、忙しく暮し、わざと目先のことしか見えない暮らしにして、死ぬことを忘れ果てる、というのも一つの選択肢であったりします。ただこの選択肢は、成功すればするほど、死ぬことを先延ばしする、死ぬことを忘れ果てるという本来の意図すらも忘れてしまい、自分の予定通りにならないと、イライラする、腹をたてる、争いを生みだすという副作用があります。そして、腹を立てるということも、感覚を鈍くさせる方便のひとつになります。この選択肢は、死を忘れることに成功してはいるものの、生きることも忘れています。

 幼子は、自分がいつか死ぬなんてことを考えたりしません。幼子のそばにいると、歌が聞こえてきます。「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子どもの声きけば、我が身さえこそゆるがるれ。」梁塵秘抄
 「ひとはいつか必ず死ぬ」確かに。「メメントモリ」「死を忘れるなかれ」と死ぬことに向き合い、瞑想することで、生を充実させようとする、確かに。メメントモリということばにはそれに続く対句があり、「カルペ・ディエム」、「その日一日の花を摘め」という意味だそうです。

 ただ、死を隠し忘れ果てようとする文化、世間の中にあっては、常に死を忘れないでいようとする生き方は、軋轢を生んだりします。かえって緊張が生まれたりします。だからこそ、修道院が生まれたのでしょう。

 死を隠し、忘れようとしても、例え隠し忘れ果てていても、容赦なく時は過ぎ、「やがて必ず死ぬ」ということが、忘れる努力に関わらず、歳を重ねるにつれ現実味を帯びてきます。いずれ、死と向き合わねばなりません。どうやって?

 仏教には、不浄観・白骨観と言って、死体を観つづける修行があります。そうやって(対象に)向き合えば、死ぬということが分かるのでしょうか?受け入れることが出来るようになるのでしょうか?私はそうは思いません。向き合えば、ますます死ぬということが全然分かっていないということを感じるようにおもいます。観つづける中で、生死の対立二元論が、その人特有の何かをきっかけに、生死一元論に転換し、回心(改心ではない)していくように思います。
 そしてその時、今日一日の花を摘むのでしょう。