「十戒」ヘブライ語・Aseret ha-Dibrotには、戒め・ha-Mitzvotという意味はない。

 青年期に、「十戒」という映画を見ました。モーセが、イスラエルの民と共にエジプトを出て、シナイに至り、シナイ山で、モーセは、「十戒」を授かります。キリスト教徒でなくとも、それはは、揺ぎ無い常識になっていると思います。
 
 しかし、原典のヘブライ語は、十戒を、aseret haDibrot と表現していて、「aseret・アセレト・十の」「haDibrot・ハディブロト・ことば」という意味で、「戒め」という意味はありません。戒めの意味を込めるなら、「haMitzvut・ミツヴォット・戒め」という単語を使います。
 
 文章にしても、日本だけに限らず、殆どの聖書、解説書では、<聖名をみだりに唱えてはならない>と「命令形」で書いていますが、ヘブライ語文法には、そもそも命令形がありません。
 
 敢えて訳するなら、<(救われた実感があるなら)当然、唱えたりしないだろう>となります。
 
 私たちは、「ことば」を使って、ものごとを認識し、思考し、伝達します。その「ことば」は、世界に実際起きていることすべてに、対応している訳ではありません。(むしろ、全てに対応していないから、ことばとして成り立っています。)
 
 世界の見え方、捉え方、感じ方は、使っている「ことば」によって、違ってきます。
 だからといって、「ことば」を否定したり、捨てる訳にも行きません。「ことば」の限界・働きを知って、使いこなしていくことが大切と思っています。
1人、本の画像のようです
 
 
 
 
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