ブランドウォーク 要素論から文脈主義へ

要素論から有機全体論へ、文脈主義へ

 「五感」という言葉があります。私たちの日常の行動のモデルとして、一般的には、まずこの世界があり、世界には色んな情報や刺激にあふれており、それを五感・感覚器官が感じとり、それを感覚神経を通して中枢神経・脳へ送り、中枢・脳で情報処理・判断をし、その指令が運動神経を通して筋肉・運動器官、臓器に伝わり行動や生理学的変化をもたらす、と考えたりします。

 多くの人は、心は脳にあると思っているのではないでしょうか。このモデルは、要素論モデル・仮説であり、心と体・行動は別のものです。日常生活において、特にこのモデル・仮説でも困ることはありません。だから、多くの人が支持し、採用してきたモデル・仮説でしょう。

 しかし、実際に何か問題が生じたときに、このモデル自体が問題になります。
 例えば、「分かっちゃいるけど、やめられない」といったことです。 健康のためには、タバコをやめましょう、甘いものを控えましょう、とお医者さんから言われ、その時はそう思うのだけど、家にかえって見ると、タバコが吸いたくなる、家族がケーキを食べていると、自分も食べたくなる。 1本くらいいいだろう、ケーキ一つくらいいいだろう、明日からきっちり守ればいいと思い、吸ってしまい、食べてしまい、そのあと後悔する。 身心が対立するといったことはよくあることです。

 「愛の鞭」もそうです。 しつけは大事と、子どもに厳しくする、時には体罰も与える。 しかし、子どもには、私はあなたのことを思って厳しいのよという。 愛しているから、罰するのよ、という。 子どもは、矛盾したメッセージを受け取らねばなりません。 子どもの中で、矛盾した分裂したメッセージに添って、分裂が進んでいきます。

 有機全体論仮説・モデルでは、「ふるまいは心である」と捉えます。 感覚器官と運動器官ということば使いは同じようにしますが、全体論では、運動器官は、同時に感覚器官でもあります。 例えば、「肘関節とその周囲の筋肉」は、感覚器官でもあります。 さて、肘関節とその周囲の筋肉群は、例えばどういうことを感覚することに関わっているでしょう? ヒント、誰かとハグして抱き合えば、実感しますよ。

 大門坂でブラインドウォークするときは、同行援護スタイルで行います。目を閉じた人は、左手に杖も持ちます。右手は援護者の左の二の腕を掴みます。 左手、杖、自分の足から伝わってくる情報は、自力的な情報といえます。右手から伝わってくる情報は、他力的情報ともいえます。

 大門坂を歩いた一遍上人は、自力と他力を分けるのは、初心者だといいました。 ブラインドウォークは、自力であり、同時に他力です。 全体論は、二元論を批判しません。批判に拘れば、二元論と非二元論というメタ二元論になってしまいますから。 あえて表現すれば、二元論ではなく二重性論を採用します。