不安を抱いたままの安心

k1s2013-06-10

「二元論に賛成ですか、反対ですか」と質問された時、賛成ならば「賛成です」とすんなり答えればいいのですが、「賛成ではない」とき、「賛成ではないです」と答えることは難しいことです。
「賛成ではないです」と答えると、(二元論を何の疑いもなく前提・習慣としている)多くの人々は、「賛成ではない」ということは「反対なのだ」と勝手に判断してくれます。

確かに、二元論を前提とするならば、賛成か反対しかないので、賛成でないと言えば、「論理的」に反対ということになります。(ただし、古典的論理)。

また、反対ならば、「反対」と答えればいいと思うかもしれませんが、「反対」と答えると、質問に答えるということ自体が、前提として、賛成か反対かという二元論を肯定しているので、二元論を賛成したうえで、反対しているという矛盾に陥ります。

ですから、本当に二元論に賛成できない人は、「反対」とも表明できません。

私たちは、日常生活の多くの場面で、二元論を前提として、賛成か反対か、○か×かを迫られることが多いです。そうやって、判断しているうちに、私たち近代日本人の思考・判断は、二元論が習慣のようになっているようにおもいます。

しかし、世の中の実際の課題は、○か×か、どちらかで答えることができるほどの単純な課題は少ないように思います。

インド論理学ならば、「賛成である」「賛成でない」「賛成であり、賛成でない」という論理で、あるいはさらに「<賛成であり、賛成でない>でもない」も加えた四句分別を行うのでしょうけれど、日本ではこういう話題自体が、「厄介」とおもわれそうです。