動く瞑想・太極拳 講座メモ 調息・調身・調心

目標 
 日常のあらゆる生活動作・行為(行住坐臥)を瞑想的に行う(気づきながら丁寧に行う)ことによって、身体と息を整え、心を整え、健康増進を図り、人生を充実させましょう。
    
○ 基本となる呼吸法 呼吸を基本とした瞑想法 調息
 息を整えると、自然と姿勢がよくなり(調身)、心も整います(調心)。
    
方法1
  ただ、息をみつめ、自分が今息を吸っているか吐いているかに気付き、心のなかで「吐いている」「吸っている」と言葉にします。
    
 緊張すると、息を止める癖が動物にはあります。息を止めたまま行動することが重なると、酸素が不足し、疲労が溜りやすくなります。
     
方法2
  息の出入に伴って、からだが変化し、動きます。その変化、動きにも注目します。
  吐く息は、口から、ストローでシャボン玉を作るように、吸う息は鼻からおこないます。
     
 もし、息を長くしたいのなら、吐く息を長くします(逆腹式・丹田呼吸・歌う時の呼吸で行います)。吸う息は自然に任します。吐く息、吸う息両方努力すると、呼吸のリズムが壊れ、息苦しくなることがあります。
     
方法3
 呼吸に注目することに慣れてくると、色々な想念が呼吸中に生まれてきます。想念が生まれてきた瞬間をとらえて、「あ、今想念が生まれた」「私は今考え事を始めようとしてる」と気づき、呼吸に注目を戻します。あるいは、呼吸や体の動きに気付きながら、同時に、想念の流れにも気づくようにします。
つまり、同時に調息し、調身し、調心します。
      
○ 歩く瞑想 歩行禅 経行(きんひん)(きょうぎょう)cankamanaチャンカマーナ
      
 経行とは、原始仏典の中にも見られる歩く修行法です。今では、禅宗の座禅修行の中で取り入れられています。やはり、行うにあたっては、調息・調身・調心の要素があります。
      
姿勢 調身
上肢は、叉手(しゃしゅ)または揖手(いっしゅ)にします。揖手は、まず左の手で親指を中にして他の4本の指でこれを握って拳をつくり、胸の前で前腕部を水平に保ち、手の甲を上向けにします。右の掌で軽くこれを上からおおいます。そのまま、手の甲を正面に向けると叉手になります。叉手の方法として、右手の親指以外の4本を左手で包み、親指を交差し、胸の前に掲げるという方法があります。(古代の中国の礼法)
あるいは、丹田の前で、右手の掌の上に左手の掌を重ね、親指の先を合わせます。(法界定印)
     
自然立位の姿勢から、息を吐きます。息を吸いながら、片足を足の裏半分の長さ分前に動かします。
前に出した足に重心を移しながら、息を吐きます。次に息を吸いながら、もう片方の足を足の裏の長さ分前に出し着地します。その足に重心を移しながら、息を吐きます。以下繰り返しです。
さて、前に出す足はどこから着地するでしょう。爪先?踵? 重心の移動は、水平?それとも波打つように? 呼吸に注目し、からだの動き、更に心の動きに注目しながら歩行します。
       
○ 二人一組触れ合いながらの瞑想
     
姿勢
二人一組になり、一人はうつぶせ寝します。もう一人(施手)は背中のわきに座り、そっと掌を背中に当てます。
施手はリンパの流れに沿って、からだの表面を撫ぜます(軽擦法)。指先や掌に集中して、かたい部分とやわらかい部分を感じ分けます。同時に、自分の呼吸にも気づきます。動きのリズムを感じます。そして更に自分の想いにも気づきます。
 ペアの相手を変え、また受け手と施手も交代します。施手の時は相手のからだの状態の違いを、受け手は、施手の動きの違いを感じてみます。そして、受け手、施手共に自分自身の想いの変化にも注目します。
改めてペアを作り直し、今度は、受け手は、要望を述べながらリンパマッサージを受けます。
     
呼吸、姿勢、掌の感覚、動きのリズム、自分の想いの変化、相手の反応、関係の流れなど同時に注目し、気づきます。
     
私が幼いころ、祖父母の家に遊びに行くと、よく祖父から「肩をたたいておくれ」と頼まれました。
こういった体験は、私の同世代の子供たちはよくしていたと思います。
人は本来、誰にでも、人に触れ、癒す力があると思います。日常生活の中に、触れ合いの時間を増やしましょう。
       

3月25日に、NPO熊野みんなの家で、「チベットの般若心経とビパッサナ瞑想と認知心理学」講座を開きます。
それで、「チベットの般若心経」齋藤保高他著 春秋社
を読み直していました。
    
8ページに
<「空性」とは、あらゆる存在に独立した実体や普遍的な本質がないことを意味し、>
     
とあるのですが、この「独立した実体や普遍的な本質がない」という文章は、日本語としては難しくなくとも、具体的にどういうことかを言うのは難しいかもしれません。そこで、思いついたことを書きました。
      
「死後も魂が存在する」とは考えない
「死んだらおしまい」とも考えない
「人は生まれながらにして、罪びとである」とは考えない
「女性や黒人は、男性や白人より劣る」とは考えない
神経症は無意識の抑圧によって生じる」とは考えない
O157は必ず食中毒を起こす」とは考えない
「資本主義社会はいつまでも続くとも、あるいは必ず共産主義社会に移行する」とは考えない
「時は一方向にのみ流れる」とは考えない
「私の性格は、○○で変わらない」とは考えない
「A型の血液の人の性格は○○だ」とは考えない
「ここに林檎が在る」とは考えない
「ここに私が在る」とも「ない」とも考えない
「いつでもどこでも苦を生み出すものというものがあるわけではない」