劣等感と劣等性

 常識的、経験的にみて、人間には、無限の能力があるとは思えません。飛行機に乗ってなら、ハワイに飛んで行けますが、どんなに訓練を積んでも、鳥のようにわが身ひとつで空は飛べないでしょう。泳ぐにしても、マッコウクジラのように泳げません。生物学的な、遺伝的な制限があります。
 
 では、絵を描くとか、楽器を演奏するといった能力についてはどうでしょう。これも、経験的にみて、個体差があるように見えます。しかし、それは一般的に思われているように、生まれながらに決まっていたりするのでしょうか。
 生まれながらの個体差というものもあるようにみえます。しかしその個体差がどの程度のものであるか、生まれつきに決まっているのか、「決めつけられない」ように思います。しかし、できないこと、苦手なことに関しては、「私には生まれながらにして才能がない」と思いがちです。

私もいろんなことに関してそう思っていました。しかし、ヴィパッサナ瞑想を知った後、50歳を過ぎてから、丸っきり苦手だった絵を描き始め、楽しめるようになりました。昨年は、ウクレレを始めて、これも楽しんでいます。

発達心理学の分野には、ピアジェの「発生的認識論」とか、ヴィゴツキーの「認識の社会的構成理論」という理論があるそうですが、個体を観察すると、その時点において、確かに「能力差」は観察されると思います。しかし、それ(可能性)は、無限でないにしても、まるっきりすべてが生まれながらにして固定しているとは思えません。

しかし、本人が固定していると思い、周りの人々も固定していると思うと、固定していくように思います。
 
 劣等性と劣等感の違いを自覚するのは、案外難しいものと思っています。