二つの湖の童話 縁生

出典は忘れてしまったのだけど、次のようなあらすじの童話を、以前に読んだことがあります。
 
山に二つの湖がありました。
二つの湖は美しさを競うことになりました。
 
一つの湖は、今まで回りに生えていた木々達に、
「落ち葉が落ちると湖が汚れるので、立ち退くように」といいます。
動物達には、毛が落ちたり、糞をしたりするとやはり汚れるからといって
来ないようにいいます。
 
別のもう一つの湖は、立ち退くように言われた木々達や来ないようにといわれた動物達を受け入れます。
 
一年経ったとき、木々に立ち退きを要求した湖は、みすぼらしく、生命感のない湖になりました。
 
もう一つの湖は、美しくて生命感あふれる湖になりました。
  
というストーリーです。(内容を作り変えているかもしれません)

なにをもって「生命」というかはさておき、
生命のないものも、生命のあるものも、諸行無常、変化して止まない
 
以前にもアポトーシスのことで言ったが
私達のからだは約60兆個の細胞で出来ており、そのうちの150ぶんの1の細胞が、毎日生まれ、死んでいく。
 
昨日の私と今日の私では、あまり変わりなく見えたりするが、実は、論理階型のレベルを一つ下げると、すごい変化がある。
 
食べて、飲んで、息して、排出し続けているからこそ生きているといえる
 
精神の安定した姿かたち、状態も、全体を見れば、昨日と今日では同じように見えるが
やはり、論理階型のレベルと一つ下げると、一瞬一瞬変化して止まない
息して、触れて、感じて、観つめて、考えて、エネルギーを注ぎ続けているからこそ、同じように見える
 
それ(みもこころも)は、縁起、縁生する現象だから。
 
日々、記憶は新たに作られており
日々、一瞬一瞬「清浄」も瞑想によってつくられる
 
瞑想していないと、
言葉を交わしていないと
それ(みもこころも)はまるで、機械の様に、石の様になってしまう