不安の自覚 不安の分析  観の瞑想のテーマとして

準備 シャマタの瞑想を先に行い、集中力と観察力を高めておきます。

さて、シャマタの瞑想で集中力と観察力が高まっています。観の瞑想は、その観察力で、一つのテーマを見つめ続けることです。そのテーマとして、今回は「不安」に取り組みましょう。不安とはどういうことなのか、不安はどういう仕組みで生まれるのか、不安とどう付き合えばいいのか。
 
 では、皆さんにお尋ねします。今、あなたの心の状態、あるいは最近のあなたの心の状態を見つめてみましょう。不安はありますか? ないですか? それともわからない、どっちともいえない、忘れている、あるいは自覚していない状態ですか?
 
 不安という感情を見つけた人は、更にその不安に、「私は、将来○○になるのではないかと不安を感じている。これを○○の不安と名付ける。」と不安の内容を文章化し、名前を付けてみてください。
 
 例えば、この先会社が倒産しリストラされるのではないか?という不安がある、生活の不安と名付ける、今そこそこの企業に勤めているが、退職後は、いろんなところで人間関係を育てることができるだろうか、生き甲斐を見いだせるだろうかという不安がある、自己実現の不安と名付ける、将来認知症になるのではないか?という不安がある、老いの不安と名付ける、試験に受からないのではないか?という不安がある、失敗の不安と名付けるというやり方で文章化、名称化します。
 
不安の感情はない、と思った人は、やはりその状態に名前を付けてみてください。例えば、安心立命、平常心、涅槃寂静、人類愛、悟りなどです。
 
 わからない、どっちともいえないと答えた人は、最近腹を立てたこととか、イライラしたことなど、具体的なエピソードを思い出してみてください。
 
 不安があると答えた人も、ないと答えた人も、わからないと答えた人も、あなたがあなたの一日の中で、一番時間をかけていること、上から三つ書き出してみてください。例えば、仕事、ボランティア、地域活動、恋愛、交友、趣味、教養などいろんな分野がありますね。お金を稼ぐ、家庭、職場、地域社会などの共同体を維持し守る、自分を育てる、どのような表現でもいいですから、上から多い順に三つ書いてみてください。
 

 さて、その理論が正しいからということではなく、色々ものごとを考える時の参考にするため、マズローの欲求の階層理論を紹介します。
 
 私達は様々な欲求を抱いて生きていますが、マズローはその欲求には階層があると仮定しています。インターネット上のフリー百科事典ウィキペディアからそのまま転載します。

マズローは、人間の基本的欲求を低次から
1. 生理的欲求(physiological need)
2. 安全の欲求(safety need)
3. 所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
4. 承認の欲求(esteem)
5. 自己実現の欲求(self actualization)
の5段階に分類した。このことから「階層説」とも呼ばれる。また、「生理的欲求」から「承認の欲求」までの4階層に動機付けられた欲求を「欠乏欲求」(deficiency needs)とする。生理的欲求を除き、これらの欲求が満たされないとき、人は不安や緊張を感じる。「自己実現の欲求」に動機付けられた欲求を「成長欲求」としている。
人間は満たされない欲求があると、それを充足しようと行動(欲求満足化行動)するとした。その上で、欲求には優先度があり、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものとした。例えば、ある人が高次の欲求の段階にいたとしても、例えば病気になるなどして低次の欲求が満たされなくなると、一時的に段階を降りてその欲求の回復に向かい、その欲求が満たされると、再び元に居た欲求の段階に戻る。このように、段階は一方通行ではなく、双方向に行き来するものである。また、最高次の自己実現欲求のみ、一度充足したとしてもより強く充足させようと志向し、行動するとした。

また、多くの人が信じている仮説として、「自己保存欲求本能と種の保存本能が、人間の基本的な本能である」という仮説があります。世俗的に考えても、食欲、性欲、睡眠欲、排泄欲等は基本的な欲求であるように感じます。

 さて、あなたは一日24時間のうち何に一番時間をかけているでしょうか? 私の場合は、先ず仕事に時間をかけています。次には、睡眠です。その次は、読書あるいは食事です。
 
 今この瞑想を行っている人は、例えば安心して睡眠ができない不安を抱いたりはしないと思います。しかし、世の中には、安心して睡眠できない人がいます。例えば、ホームレスの人々です。外国でも、例えばルーマニアでは、住む家がなくて、マンホールの中で暮らしている子供たちが沢山います。
 
 自分が全然不安を感じていないようなことにも、他の人が深い不安を感じていることもあることに気付きましょう。

< 不安のシェアリングと言葉の定義 >
 
 不安という感情を見つめた訳ですが、不安という言葉を主語と述語を使った文章で定義してみましょう。お渡しした紙に書いてみてください。
 
例えば
○ 不安とは、自分が意識的あるいは無意識的にこうあって欲しい、こうあるべきだと望んでいることが、実際に起きてもいないうちから、自分が思っている状態とは違った状態で起こるのではないかと予測することで生まれるマイナス感情。

○ 「性欲(リビドー)を一種の生命力(エネルギー)と捉え、生殖行為が何らかの事情・理由で正常になされなかった場合、その際消費されるはずであった性欲が解消されることなく無意識の内に蓄えられ、そのような充足されず変質させられたエネルギーが<不安>として表出される」とインターネット上のフリー百科事典ウィキペディアにはフロイトの前期理論として紹介されています。また、「欲動に駆られた際、それを抑えようとする超自我との葛藤(コンフリクト)を恐れ、この葛藤を解消するために不安という<危険信号>を自我が発することにより欲動が挫折させられるという」と紹介されています。しかしこれはあくまでフロイトの理論であって、異論は沢山あります。


仏教に四法印という言葉があります。諸行無常諸法無我一切皆苦涅槃寂静です。
世の中が変化して止まないことは、誰もが感じていることでしょう。しかし、その変化が、自分の望むような変化とは限りません。変化は予測するが、その予測が自分の思うようになるとは限らない、その時私達は不安を感じたりします。
 
 世俗的、歴史的、経済的、政治的にいえば、経済のしくみは変化し続け、競争や闘争が常にありました。なるほど、2010年の日本は、軍事的には平和ですが、貧富の差が広がっています。一流企業に勤めているからと言って、安心はできないと30代の若者が語っていました。全国各地を講演して回っている人が、どこの地方都市も駅前が寂れて、郊外の大型店舗が栄えていると語っていました。銀行の借金を抱えており、その借金の返済の為に営業を続けている商店が多いと、税関係の業種の人が語っていました。そして、自殺者は平成十年以来毎年三万人を超えています。
 
 仏教には四苦という表現もあります。生老病死の苦で、一番目の苦は生まれ、生きる苦です。
 私達は誰しも生きていたい。生存の欲求があります。と同時に、四苦の最期は死苦です。
私達人間は、人間がいつか必ずこの世を去ることを知っています。そして、その日がいつになるかは決まっていないことも知っています。
 私達の基本的な欲求のひとつに、所属欲求を上げる人がいますが、何のための所属でしょうか?マズローが欲求の階層理論でいっているように、安全の欲求、生理的欲求の為の所属ではないでしょうか。つまり生きていたい、死にたくないというのが私達の基本的な欲求でしょう。
 私は所属できているかということを気にし、人の目を気にするのは、やはり生きたいがためでしょう。しかし、私達はその願いが聞いてもらえない日が来ることを知っています。
 
 私達の漠然とした不安は、ここに始まっていると思います。
 
 私達は、この漠然とした不安を見つめることよりも、それを忘れさせてくれる快楽や競争、争いにふけることの方が多いように思います。それもまた貪り「貪」となって、苦しみを生んだりします。貪と貪がぶつかり合って怒り「瞋」を生み、苦しみとなります。
 
 私達は、漠然とした不安を抱えながら生きるしかないのでしょうか。やがて必ず訪れる死は、そのまま受けいれるしかないのでしょうか。私は、抱えながら生きるしかないと思いますし、受け入れるしかないと思っています。そうやって生きて初めて「貪瞋癡」の「癡」を自覚でき、その時やっと「癡」の扉を開くことができるものと思っています。