人生劇場 サッカーゲーム

人生は、しばしば劇に例えられる。
私達一人一人が、主人公だ。
 
又、人生をゲームに例える人もいる。
ゲームといっても、お楽しみという意味ではなく、
あるルールを決めて、そのルールに同意したものが、
同じグランドで関係を持ち合っていることを、ゲームに例える
だから、ルールを守らなかったり、真剣に参加しないと、
そのゲームは楽しくない、充実しない
 
朝から晩まで、サッカーをしたりしないように、
私達は、一日の内でもいくつものゲームに参加する
サッカーであったり、野球であったり、あるいはアーチェリーであったり。
しかし、サッカーをしながら、アメフトのルールでは参加できない
 
フロイト心理学にはフロイトルールがあり、ユング心理学にはユングルールがあり、
アドラー心理学には、アドラールールがある

ルールに同意して、同じサッカーに参加していても
ゴールキーパーは一人だ

例えば、ここにガンを宣告された夫がいたとして
その夫自身、「西洋医学で、切った張った、手術や抗がん剤でガンと戦うぞ」ゲームを選択できるし、あるいは「代替医療で、ガンと上手く付き合うぞ」ゲームを選択できるし、「全ては、必然です。あるがままに受け止めます。ガンに対して何もしない」ゲームを選択できる。
 
そして、そのつれあいは、ゲームに参加しないこともできるし、どのゲームを選択するか、夫と話し合うこともできるし、夫の選んだゲームに、同じように参加することもできる。
 
しかし、ガンというシュートを受け止めるゴールキーパーはやはり本人一人だ。
妻は、ディフェンスをできても、手でボールを受け止めることはできない。

スタンドで応援する妻もいるだろうし、サッカー場に来ない妻もいるだろう。
 
ひとりでサッカーはできないが、ゴールキーパーはひとりだ。